ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.937

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と六十八

「ジゴクノサタモ・・・」

 人が人である限り、絶対にできないようなトンでもないコトを、人が、仕出かしてしまった時、その、仕出かしてしまった人は、もう、すでに、本来のその人自身ではないような気がしてならないんだよな~、と、ポロリと重く、ひたすら重く呟いたAくん。

 あ~。

 いわゆる、悪魔、悪魔というヤツだな。

 Aくんとの会話の中で、度々登場してきた「悪魔」。

 その、悪魔の仕業ということか。

 しかしながら、ナニかが引っ掛かる。

 人が人でなくなってしまったとしか思えないようなトンでもないコトが起こったとしても、その全容を、おいそれと解明などできそうにない。それほど人の心のメカニズムは複雑で、掴み切れないモノなのである。それゆえ、Aくんも私も、ある意味苦し紛(マギ)れに、「悪魔」が宿る、棲み着く、みたいな表現をしてはきた。してはきたが、重要視しなければならないポイントは、・・・ドンな悪魔がドウのコウのというようなコトより、むしろ、その、悪魔のようなモノが、ナゼ、その人に近付き、棲み着き、唆(ソソノカ)し、その魂を喰い散らかし、人格そのものまで破壊することができたのか。その人を、その人自身でなくしてしまうことができたのか。そもそも、その、悪魔のようなモノとは、いったい、ナンなのか。といった、そのあたりの「ナゼ」とか「ナン」とかに、シッカリと目を向け、クールに深く踏み込んでいくコト、・・・ではないか。ソレを、ソレをしない限り、いかなる解明にも繋がらないような気がする。

 にもかかわらず、そんな「悪魔」を単なる脅(オド)しのツールとしてフル活用し、だから悪魔がナンチャラカンチャラするんだ、とか、こうしないと悪魔がナンチャラカンチャラしないぞ、とか、と、ビビらし、不安に陥れ、追い込み、上手い具合に巨額の献金にさえも繋げていく、みたいな、そんなこの種のカルト的手口は、どの角度からどう見ても、この世のどんな悪魔よりも「悪魔」、にしか見えないし、としか思えない。

 取り留めもなく、そんなコトをアレコレと、ナガナガと、タラタラと、独り言ちていると、Aくん、気持ち良すぎるぐらいの乱暴さで、一気にビシッと一言で、ケリをつけてしまう。

 「地獄のサタンも金次第!」

(つづく)