はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と六十七
「サンビャクダイゲンヤロウ!」
根拠なき自信。
巧みな詭弁。
怯まぬ饒舌。
ご都合主義の事実誤認、法解釈。
論点ずらしもお手のもの。
とにかく、ナニがナンでも論破する。コレに命を懸ける。つまり、「敵」である相手を打ち負かすためには手段を選ばない、ということ。使えるモノは法律でもナンでも使う。法律が使えそうにない時は、「一般論として」などと澄ました顔で宣いながら、逃げ切りを図る。
しかし、この手のモノの考え方も手法も、本来の弁護士のあるべき姿ではない。ましてや、テレビのような公共性の高いメディアには、どう考えてもそぐわない。にもかかわらず、おもわず人気を博してしまう、のは、ナゼか。
「なぜ、根拠なき自信に裏打ちされた巧みな詭弁と怯まぬ饒舌がウリの弁護士系コメンテーターが、人気を博したりするのでしょう」
「そりゃ~、一定の視聴率を稼げるからだろ。そういう詭弁や饒舌に、スッキリする、気分が良くなる、というピーポーたちも、少なくはない、ということなんだろうな」
な、なんと。
「ソコソコ視聴率を稼げれば、学びの場であることの放棄もまた致し方なし、ということですか」
「そういうことになるかな」
真実を伝える。正しきコトを伝える。真っ当なコトを考える。真っ当なコトで悩む。このコトこそが大切なはずなのに。
「世論を、悪しき方向へと誘導しない。洗脳しない。こんなコトは当たり前のコトだと思いますが」
「ところがどっこい、そうは問屋が卸さない、ということだ」
ふ~。
一気に疲れ果てる。
そういえば、以前、明治の頃であったか、その当時、弁護士は、まだ、「代言人(ダイゲンニン)」と呼ばれていた、と、聞かされたことがある。
もちろん、弱者のために頑張った代言人もいたかとは思うが、おおよそいい加減で、そんなトンでもない代言人のことを揶揄して、「三百代言(サンビャクダイゲン)野郎!」などと罵(ノノシ)ったりしていた、と、その人が教えてくれたことを思い出す。
その話の真偽の程は私にはわからない。が、おそらく彼が私に伝えたかったコトは、いい加減なことをしていれば、いとも簡単に弁護士も、そんな三百代言野郎に身をやつしてしまう、というコトなのだろう。
あっ。
そうだ、そうだった。完全に思い出した。
あの時、そして彼は、トドメに、あたかも都々逸(ドドイツ)か小唄かナニかように軽やかに、コブシを回しながら歌い上げてくれたのである。
ひゃくもしょ~お~お~ち
(百も承知)
にひゃ~くもが~あ~てん~
(二百も合点)
さんびゃくだい~げん
(三百代言)
うそは~あ~ぴゃ~あ~あ~く~
(嘘八百)
す~べって~ころ~んで
(滑って転んで)
すかん~ぴ~いいん~ん~ん~ん~
(素寒貧)
(つづく)