はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と六十九
「ジェンダー ビョウドウ ナンチャラカンチャラ ノ ユウウツ」
「憂鬱ついでに」
ん?
「ある地方自治体の、様々なジェンダー系問題のその解決を目的として、立ち上げられたジェンダー平等ナンちゃらカンちゃらという新しい組織。その組織のその顔ぶれを見て、驚愕、愕然、とまでは言わないまでも、またまたドップリと『憂鬱』になってしまったわけよ」
ん、あ~。
ソレは、なんとなく想像がつく。
「相も変わらず、ほぼ、オッチャンばかり」
やっぱり。
「オッチャンだからダメだ。とは言わないよ。だけど、あんな風に、オッチャンのガン首ばかりをズラリと揃えられてしまうと、様々なジェンダー系問題を、捨て置くわけにはいかない切実な問題として捉え、我がコトのように本気で話し合い、解決していく、なんてこと、おそらく、できねえんだろうな~、って、どうしても思ってしまうわけよ」
視点の偏り、価値観の偏り、思考のベクトルの偏り、に、陥りやすいか。
「あらゆる垣根を取っ払った様々な立場の、カラーの、ピーポーたちがソコにいてこそ、見えてくる、話し合える、解決できる、ということだ」
おっしゃる通り。
多分、そういうオッチャンな感じ、その自治体に限ったことではなく、多かれ少なかれドコも同じようなものだろう。そんな気がする。
「そういえば、ある政党のトップが、それぞれの当事者が当事者ならではの視点で、目線で、当事者が抱える問題点を、改善点を、訴えることが大事なんだ、みたいなコトを宣っておられたのですが、あらためて、彼のその言葉の意味がわかったような気がします」
「いわゆる当事者目線で、ってヤツだな。ナゼか、その目線、権力を握れば握るほどもてなくなっていくからな~」
ん~。
もちろん、当事者でなくても、想像力が、共感力が、あれば、充分に問題点も改善点も見えてくるはず。なのだけれど、Aくんのその指摘通り、そう簡単には当事者目線なんてもてないとなると、オッチャンたちにはタイヘン申し訳ないが、そんなワンカラーっぽい組織では、結局のところ、大したコトはできないな、と、思わざるを得ないか。
「ジェンダー平等ナンちゃらカンちゃらの、憂鬱。悲しいかな、巷では、そこかしこでナンともカンともな『憂鬱』の、オンパレードだな」
(つづく)