ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.744

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十五

「カチウマニ ノル」

 勝ち馬に乗る、と、勝ち馬になる、では、意味もナニもカも違ってくる、とAくん。

 勝ち馬に乗る、か~。

 「勝ち馬に乗る、に、あまりいいイメージはないですね」、と私。

 「たとえば、どんなイメージだい?」

 「たとえば・・・、ずるい、せこい、こすい、みみっちい」

 「おお~っ、並べたね~」

 「結果として勝ち馬に乗ることになった、ということはあるかもしれませんが、勝ち馬に乗ることそのものを、そのまま目的にするなんてことは、どう考えても、ずるい、せこい、こすい、みみっちい、でしょ」

 「ま、仕方がない場合もあるとは思うんだよね。法的にも人道的にもさしたる問題がないのなら、商売上、勝ち馬に乗る、もまた良し、じゃないかと」

 Aくんにしては、珍しく、好意的なもの言いだ。

 「でもね、政治に関わる者たちが、己の信条や理念を蔑(ナイガシ)ろにしてまで勝ち馬に乗る、などということを、平気な顔をして宣い出したとしたら、それは、ちょっと厄介だな」

 「ちょっとどころじゃないでしょう。目一杯、厄介です」

 「そうだな、目一杯、厄介だ。そもそもだ、そんな連中は、最初から、大した信条や理念など、もち合わせていないのかもしれないしな」

 あ~、なるほど、そう考えれば、「勝ち馬に乗る」系が世に憚(ハバカ)るその理由も理解しやすい。

 「それでもやっぱり、その信条や理念の方向性に清き一票を投じたい投じたくない、は、この際、ちょっと横に置いておくことにして、とにかく、政治に関わる者たちには、勝ち馬に乗る、ではなくて、シッカリとした己の信条や理念をもち、ソレを蔑ろにすることなく、精進、邁進して、勝ち馬になる、ぐらいの気概を、もってもらいたいよな~」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.743

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十四

「ソコダケ モリ」

 まだまだ若さが溢れていた頃、自動車などという怠惰な便利グッズに心奪われる前、私は、プジョー製の愛(自転)車で、そこかしこを走り回りまくっていた。

 そんな頃の記憶である。

 私は、なぜかソコだけコンパクトにコンモリと森、という「ソコだけ森」に、何度も遭遇する。

 この、ソコだけ森、なぜかソコだけナニかが違う、明らかに違うのである。

 一体、ナニが違うのか。

 「ソコだけ森、って、その周囲とナニかが違いますよね」、と、Aくんに尋ねてみる。

 「ん?」

 思いっ切りキョトンとしているのが、コチラまで伝わってくる。

 「田んぼの真ん中に、忽然と、コンモリと、現れたりするじゃないですか、ソコだけ森、が」

 すると、「キョトン」から一気に解放されたかのような趣で、Aくん、サラリと言ってのける。

 「鎮守の森、ね」

 ち、鎮守の、森?

 あ、あ、あ~、鎮守の森、鎮守の森、か~。

 今まで、結びつかないままであったその両者が、電光石火の勢いで、突然、ガッチリと手を握り合う。

 そうか、そうだ、そうに違いない、鎮守の森、鎮守の森、だ。

 不思議の森、「ソコだけ森」は、「鎮守の森」であったのである。

 「鎮守の森は、祠(ホコラ)の森、神さんの森。周囲と空気感が違うのは、当然と言えば当然、かもな」

 なるほど、なるほど、そういうことか。

 「でもね、君のように、理屈抜きに、その異なる空気感を肌で感じられる、感じ取れる、ということは、素晴らしいことだ」

 目一杯、照れてしまう。

 「人々が、そうした空気そのものの質の違いみたいなものを感じ取れるか否かで、さらには、そうした空気感に畏怖の念を抱けるか否か、で、この国の姿カタチまで変わってくるんじゃないか、って、思うんだよな~、僕は」

 現代社会にドップリと浸かりまくっている私ごときが、ナニを偉そうに、って感じではあるけれど、あえて言わせてもらうとするならば、ひょっとしたら、この国は、知らず知らずのうちに、こういった異なる空気感に、畏怖の念を抱けなくなってしまったがゆえに、これだけの、手当たり次第の乱開発を繰り返し、結果として、多くのモノを失ってしまったのかもしれない、な。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.742

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十三

「フケヨカゼ ヨベヨアラシ!」

 ココにきて、若干、ハードロックからキョリを置きつつあるような、そんな気もしないわけではないAくんだが、それでもやはり、ナニかの弾みで、ソレ系の話題になったりすると、おそらく、そのままその前を素通りするようなことは、まず、ないだろう。

 そう思えてしまうほど、やっぱりAくんには、あの頃の、クラシカルなハードロックがよく似合う。

 それと同じように、あの頃の、リングに、これ以上ないと思えるほどよく似合っていた、そんなプログレッシブなハードロックがあった。

 幼少期の私が目(マ)の当たりにしたソレは、まさに、究極の入場テーマ曲であったのである。

 「♪ワン・オブ・ジーズ・デイズ(One of These Days)、ご存知ですか」

 「あ~、吹けよ風、呼べよ嵐、ね。もちろん、存じ上げている」

 さすが、Aくん。

 ワン・オブ・ジーズ・デイズ、で、「あ~」、と、サラリと言ってのけられる人など、そうはいない。

 Aくんのご明察通り、♪吹けよ風、呼べよ嵐、で、ある。

 「たしか、ほら、あの、黒い呪術師アブドーラ・ブッチャーの入場テーマ曲、だったよね」

 「そ、そうです」

 なんだか私の心の中を、思いっ切り覗かれているようで、驚く。

 「奇跡の邦題、『吹けよ風、呼べよ嵐』。よくもまあ、こんな極上の邦題を考え付いたものだよな~」

 「おっしゃる通り。この邦題によって、よりパワーアップした♪ワン・オブ・ジーズ・デイズ、で、血湧き肉踊り、血糖値までもがグンと上がったような気がしたものです」

 するとAくん、「血糖値まで上がったかどうかは僕にはわからないけれど、少なくとも、ブッチャーが上がったリングに漂っていた邪念やら邪気やら澱(ヨド)みやらは、間違いなく、その、清き風で、清き嵐で、吹き飛ばせたと思う」、と。

 邪念やら、邪気やら、澱みやら、は、吹き飛ばせたと思う?

 そうか、なるほど、そういうことか。

 Aくんイチオシのピンク・フロイドの名盤『おせっかい』のオープニングアクト、♪吹けよ風、呼べよ嵐。そういうことであるならば、たとえば、国会が開会される時などには必ず、議員たちの入場テーマ曲として、是非とも、この♪吹けよ風、呼べよ嵐、を、議事堂内に大音量で流してもらいたいものだ、と、結構マジに、思ったりする。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.741

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十二

 「ジゴウジトク ジコセキニン ジジョ」

 人生いろいろ、とか、勝ち組負け組、とか、の、その全ての要因は、その人自身にある、という風潮は、一部の権力を握るシモジモじゃないエライ人たちを中心に、相変わらずそのまま、ドンと居座り続けているようで、頑張れた者は、結果を残せた者は、勝ち組、頑張れなかった者は、結果を残せなかった者は、負け組、といった、随分と稚拙で乱暴なレッテル貼りが、悲しいかな、今でも、横行しているように思えてならない。

 そんな、ダラダラと重く続く私の「勝ち組負け組」系の愚痴に、ナニか感じるものがあったのか、それとも、聞くに堪えないと思ったのか、Aくん、突然、口を開く。

 「自業自得!」

 「えっ」

 「己の頑張りが足らなかったから、能力がなかったから、自業自得、ということなんだろ、きっと」

 自業自得、か~。

 「自業自得からの自己責任であり、自助だということだ」

 さらに一層、気持ちもナニもカも、ズンと重くなる。

 そういえば、一時(イットキ)、よく耳にした「ワーキングプア」という言葉、このところ、全く聞かれなくなった。だからといって、解消されたなどとは、到底、思えない。

 毎日毎日フルで働いても貧困から抜け出せない、この、現代社会の闇に、メディアも目を瞑(ツブ)り始めた、ということなのだろうか。

 そして、闇の中で、苦しみ、もがく、そうした弱者たちに対してさえも、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちは、躊躇することもなく口を揃えて、「自業自得!」、と、宣うのだろうか。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.740

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と八十一

「ヤサシサ ト キビシサ ト」

 「優しさと厳しさ」一つとっても、なかなか理解して頂くことが難しい、と、あるお坊さんが宣っておられたことを、ふと、思い出す。

 その時は、別段ナニも思わなかったのだけれど、ずっと心の片隅に引っ掛かったままではいたのである。

 優しさと厳しさ。

 どうしても、相反する両者に見えがちな、その「優しさと厳しさ」について、Aくんに問うてみる。

 「優しさと厳しさとは、一体、ナニモノだと思いますか」

 「優しさ、と、厳しさ、とは、ナニモノ?」

 「ひょっとしたら、この国の、この星の、進むべき未来のヒントが、ソコにあるような気が」

 マ、マズい。

 またまたAくん、グビリと一口、喉を潤すや否や、沈黙の旅に出てしまう。

 ・・・

 ナンとなく思う。

 あの、パラリンピックとオリンピックのように、決して交わることのないパラレルワールドに身を置く両者だとしたら、どうだろう。

 私は、一本の線上に、パラリンピックとオリンピックがあることが、オリンピック憲章に照らしてみても、本来のあるべき姿だと思っている。それと同様に、優しさと厳しさも、一本の線上にあることが、本来のあるべき姿なのでは、などと、ボンヤリと思ったりもする。

 すると、ユルリとAくん、その、短めの旅を終えて、無事、帰還する。

 「厳しさには」

 ん?

 「厳しさには『涙』が伴っていなければならない」

 「な、涙、ですか」

 「そう、涙。ナゼなら、自分本意な、利己的な、そんな感情に支配された厳しさに、涙など、伴うはずがないだろ、って、思うから」

 自分本意な、利己的な、感情に、支配された厳しさ、か~。

 「優しさ、も、厳しさ、も、優しさ、なのだ、と、僕は思いたい。場合によっては、優しさ、よりも、厳しさ、が、ウンと必要になってくることもあるかもしれないけれど、でもね、優しさ、よりも、ウンと優しさに満ち溢れた厳しさ、で、なければ、全くもって話にならない、と、ずっと、ずっと思い続けている」

 そうボソボソと、それでいて力強く語り続けるAくんに、一切の迷いなく、私は、清き一票を投じたい。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.739

はしご酒(Aくんのアトリエ) その八十

「マンマル!」

 先ほどの万年筆のマイホームであるアルミ製の角皿に、なぜか、少し大きめのビー玉が一つ、鎮座している。

 「深く澄んだ色味のビー玉ですね。このビー玉にもナニか曰(イワ)くがあったりするのですか」

 「ないない、ナニもない。でも、ウンと昔からある、かな」

 ビー玉、か~。

 ビー玉。

 ビー玉。

 ・・・

 そういえば。

 ・・・

 ある旅先でのコトを思い出す。

 随分と昔の、私が、まだギリギリ学生であった頃の、記憶だ。

 奄美大島だったかドコだったか、ハッキリとは覚えていないが、旅先で、やたらと早く目が覚めて、よせばいいのに、私だけ、早朝ランニングと酒落込んだのである。

 最初のうちは、さすがに軽やかで、中学生の時は陸上部だったんだぜ感を全身から放ちながら、ご機嫌に疾走していたのだけれど、15分も経つと、一気に、歩幅は狭くなる、膝は上がらない、のに、息は上がる、みたいな、そんな、みっともないランニングフォームに変容してしまう。

 もうダメだ、と、まさにギブアップ宣言をしようとしたその時、ものすごく気持ちのいい風が汗ばんだ顔を舐めていく。その風に誘われるようにして道を外れて進んでいくと、小振りの砂浜に辿り着く。ソコにいるのは私だけで、まさに貸し切り状態。そして、ソコは、ホントに最高に美しい砂浜であったわけだ。

 では、なぜ、ソコを、ソレほどまでに美しいと、思ったのか。

 それは、普通の砂浜だと思っていたその砂浜が、よくよく見ると、真ん丸の黒いビー玉のような石でビッシリと敷き詰められていたから。しかも、寄せては引き、引いては寄せる波に、コロコロと前後に転がりながら、キラキラと、キラキラと、艶っぽく黒く光ったりする。

 それぐらい、ソレたちは、目が眩むほど長い年月をかけて、スッカリと角が取れ、気持ちいいぐらい真ん丸であったのである。

 でも、あまりにも真ん丸だったものだから、なぜか私は、その時、そんな真ん丸な石に、嫉妬していた。そんな、真ん丸な人間に、私も、なれたらいいのに、と、嫉妬していたのである。

 そして、誹謗中傷やらバッシングやら三昧の、こんな、角張りまくった今だからこそ、尚のこと余計に、目一杯、そう思うのだ。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.738

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と七十九

「ブレイクスルー!」

 かわいそうなんだよな~、と、いつもながらの唐突さ、と、わけのわからなさ、で、Aくん。

 「誰が、かわいそうなのですか」、と、ほんの少しだけつっけんどんに、私。

 「ブレイクスルー(breakthrough )」

 「はい?」

 「かわいそうというか、不憫(フビン)というか」

 「ブレイクスルー、が、かわいそう?、不憫?」

 「そう、そういうこと」

 ココにきて、ナンとなく巷を賑わしている、あの、ブレイクスルー、の、ドコが、ナニが、・・・。

 私が知る限り、そのブレイクスルー、鉄壁のガードが打ち破られて、不本意ながらも、如何ともし難いダメージを喰らう、という、そういうイメージ。ソコに同情する余地など微塵もないように思えるが。

 「申し訳ありませんが、ブレイクスルーには、してやられた、というイメージしかありません。なぜ、そんなモノにソコまで同情されるのか、ちょっと納得し難いです」

 Aくんの瞳がキラリと、いや、ギラリと光る。

 「本来、ブレイクスルーは、ベビーフェイス系の、ヒーロー系の言葉だと言っていい。目の前に立ちはだかる、努力してもナニをしても、なかなか打ち破れなかった壁を、ナニかの弾みで、突然、乗り越えられたその瞬間こそが、ブレイクスルー。ブレイクスルーあってこそのネクストステージへのステップアップなわけ。この感じ、わかるかい」

 ん?

 ベビーフェイス系?

 ヒーロー系?

 「僕が、ココで言いたいことはね、つまり、見る側を変えれば、同じモノが、悪玉にも善玉にもなり得る、ってこと」

 「ブレイクスルーがそうであるように、ですか」

 「そう、ブレイクスルーがそうであるように、だ。コレって、あの、正義、に、さえも、当てはまったりするわけ。正義でさえも、見る側を変えた途端に、突然、悪役マスクを被ってヒール(悪玉)に、なんてことも、充分にあり得る、ということだ」

 コチラ側にとっての正義が、アチラ側にしてみれば、不義、だということは、たしかに、この星のそこかしこであるような気がする。だからこそ、愚かなる悲劇は、何度も何度も繰り返されるのだろう。(つづく)