ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1262

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十三

「イマ モットモ ジユウニ ダマラナイ」

 ある首長選で苦渋をなめた女性候補者が、数日後に言い放ったコトバ。ソレがコレ。

 「今、最も自由に黙らない」

 そう。今、最も、自由に、黙らない。で、ある。

 もちろん、心に痛みはあるだろう。あるだろうけれど、その痛みを爽やかに跳ね除けて、静か、なれど、力強く、そう言ってのける、彼女のそのハート、実に気持ちがいい。

 おそらく、アレやコレやのシガラミから解放されたがゆえの「今、最も自由に黙らない」なのだろう。そして、同時に、彼女の背中を見てコレから続くであろう女性たちの、マイノリティたちの、ための、「今、最も自由に黙らない」であるに違いない。だから、尚のこと、こんなにも気持ちがいいのだ。

 この、「今、最も自由に黙らない」。

 長きに渡ってこの国が、この国のカッチンコッチンたちが、とくに女性たちから、とくにマイノリティたちから、奪い続けてきたモノである。そして、その風潮、情けないことに、未だに、深く、根を張り続けている。

 しかし、しかしである。今回の彼女のこのコトバ、そうした女性たちの、マイノリティたちの、「自由に黙らない」の幕開けのようにも思える。

 そう、幕開け。

 そんな幕開けに、私には、人知れず、コッソリとながらも、結構、本気の、ある提案がある。

 某与党を中心とした旧態依然とした脳みそカッチンコッチンのオッサン議員たち、のみならず、悪い意味で「オッサン」化してしまったような女性議員たちにも、この際、奥の隅の方でオトナしくしていてもらうことにして、本気の女性たちによる真実の女性党、の、誕生。もう、そろそろ、あってもいいように思う。そして、まずは連立政権のキャスティングボートを握る真っ当な党として、その存在感を世の中に知らしめる、みたいな、そんな天下御免の「今、最も自由に黙らない」女性党、の、誕生。どうだろう。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1261

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十二

「ユガンダ ブナンシュギ」

 いかなる組織のどんな会議も、その組織のために、更には、この国の、この星の、そして、もちろん、ソレら全てのピーポーたちの、ピーポーたちの未来の、そう、ピーポーたち一人ひとりの未来の、ために、深く深く自由闊達に発言、議論、し合えてこそ、会議。さすがに少し大袈裟かもしれないけれど、小さな組織の会議が、たとえばこの星全体に、この星に住むピーポーたち一人ひとりに、影響を及ぼすなんて絶対にない、と、言い切ることなど、誰にもできないはずだ。にもかかわらず、いくら首根っこを掴まれているからとはいえ、職員会議を単なるトップダウンの「伝達の場」などと宣ってしまえる学校という組織の未来は、関係者諸氏には申し訳ないが、目一杯、暗い、と、言わざるを得ない。

 「仮に、学校現場の実情やら教育的意味合いやら指導面やら安全面やらを考えれば、その選択肢は、ない。というような場合でも、上からのお達しだからという理由だけで選択してしまうようなコトがあるとするなら」

 「終わってるだろ、完全に、学校として」 

 「学校として終わっている、とまでは、私には言えませんが、でも、まだ未成年である子どもたちであるだけに、その罪は、より重く深いように思えます」

 「だけど、だけどだ。どうしても突き進んでしまうわけよ、イエスマンの道をね」

 イエスマンの道を突き進む、か~。

 ん~、ナゼだろう。

 いつもの、あの、無難主義というヤツのせいだろうか。

 「無難主義、無難主義ですね、きっと」

 ソレほど自信はなかったが、思い切って断定的に言い切ってみる。

 「無難主義?、無難主義、ね~」

 違ったか。

 「・・・かも、しれないな。」

 ほっ。

 「しかも、歪んだ無難主義」

 「歪んだ無難主義、ですか」

 「そう。だって、無難じゃねえかもしれない選択なわけだろ。普通、無難に、と、思うなら、指導面やら安全面やらに問題がありそうなモノは、まず、選ばない」

 たしかに、おっしゃる通りだ。

 いくらお上からのお達しでも、無難ではなさそうな選択を、無難主義なら、普通、しない。

 「おそらく、いつのまにか思考停止に陥ってしまっているんだろう。で、ナニかトンでもないコトが起こってしまった時には、とりあえず神妙な面持ちで、『上から言われたので仕方なく』などと言い訳をするに違いない。だけどだ。そんな姑息な言い訳、言い逃れ、絶対に通用しねえから」

 しない、絶対に、しない。

 と、いうか、万が一にもソンなモノが通用してしまうような世の中じゃ、ダメだ。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1260

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十一

「ショクインカイギ ハ カイギ ジャ ナイカラ」

 「ちょっと話題を変えさせてもらってもいいかい」

 えっ!?

 いつだって唐突に、見事なまでにお構いなく、思いっ切り移調やら転調やら三昧のAくんにしては、いつになく、ナゼか、謙虚。 

 「僕が、学校の先生を辞める数年前あたりから、とにかく、上からの圧がハンパなく重苦しいモノになりつつあったわけよ」

 上からの圧、か~。

 そういえば、校長先生なんて役所の課長クラス、だと、聞いたことがある。天下の現場の大将である校長先生が課長クラスでは、申し訳ないが、上からの、その強烈な圧を跳ね返して、現場の事情を、実情を、独自性を、考慮して、鑑(カンガ)みて、思い切った判断を、決断を、取り組みを、なんて、まず、できないだろうな。

 「しかも、挙げ句の果てには、管理職、『職員会議は会議じゃないから』とまで言い出す始末」

 職員会議は会議じゃ、ない?

 「じゃ、なんなのですか」

 思い切って尋ねてみる。

 「『伝達の場』、と、ぬかしやがる」

 「で、伝達の、場、ですか」

 「そう、伝達の場。お上からのお達しを伝える場。ソレをシッカリと、文句一つ言わず受け止める場だ」

 な、なんと。

 「人事のコトやら退職後の天下り先のコトやらで首根っこをムギュッと掴まれてしまっているわけだからな、そりゃ、もう、ほとんどの管理職はイエスマンだろうよ」

 イエスマン、か~。

 「首根っこを掴まれたイエスマンが、翼やらナンやらをもがれたイエスマンたちに伝達するわけだ」

 ん~。 

 「言っておくけど、学校に限らず、会議が全くもって真っ当な会議なんかじゃなくて、一応、とりあえずカタチだけありますけど、みたいなそんな組織に、絶対に明るい未来はないから」

 ふ~。

 おっしゃる通り、まず、ない。

 ソレぐらいのコトは、私でも、わかる。

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1259

rなどはしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十

ネガティブキャンペーン ト イジメ ト ルサンチマン

 全くもって好ましいコトではないけれど、先ほどもチョコッと話題に上がっていた「ネガティブキャンペーン」、残念ながら、Aくんが苛立っている「選挙」に限ったことではない。そう、気に入らない相手を徹底的に叩く、叩き潰す、コトを、目的にしたネガティブキャンペーンは、悲しいかな、日常生活の様々な場面においても、結構、見受けられたりするのだ。

 そんな、この、ネガティブキャンペーン。一対一のタイマン勝負なら、まだ、微かに理解もできるかもしれない。が、アレやコレやとドウでもいいようなコトまでももち出して、周囲に吹聴し、一つの歪んだムーブメントをつくり上げて、束になって口撃し、叩き潰す、みたいな、そんなやり口だけに、ドコからドウ見ても考えても、やはり、いただけない。しかも、そのやり口、小学校やら中学校やらで時折目にする耳にする、あの、「イジメ」の手口とも酷似するものだから、更に一層、心が痛む。そもそも、イジメに正しいイジメなどないのだ。にもかかわらず、ヤヤもすると私たちは、あたかも正しいイジメもあるかのような、そんな錯覚を抱きがちなだけに、そのコトを肝に銘じておく必要がある。

 「私は、大いなる責任がある圧倒的な権力を握る権力者が、トンでもないコトをしでかした時、しでかそうとしている時、は、徹底的に糾弾すべきだと思っています。が、ソレ以外は、そう簡単に、人を、束になって口撃なんてすべきではない」

 「と、思うわけだ、君は」

 「はい。だって、そうでないと、単なる『イジメ』以外のナニモノでもないモノになりかねないでしょ」

 「イジメ以外のナニモノでもないモノに、ね~」

 「ジャマだから、ウザいから、キラいだから、徒党を組んでイジメる。ソレって、あの、子どもたちの世界の『イジメ』の有りようと、とても似ているように思えてならないのです」

 「ん~、ソレはどうだろう」

 「えっ」

 「むしろ、ソレは、大人の世界のイジメの模倣だろ」

 も、模倣?

 「無意識のうちに、子どもたちは、大人たちの世界の闇を学んでしまったに過ぎない」

 ん、ん~。

 「負の学び、だな」

 「負の学び、ですか」

 「そう、負の学び。それほど大人たちの世界の闇は、おもわず吸い込まれてしまいそうになるぐらい『深い』ということだ」

 深い、か~。

 ん~、・・・たしかに、そうかもしれないな。

 「話が少し逸れてしまうかもしれませんが、たとえば、このところよく耳にするあの『ネガティブキャンペーン』。なんて、もう、ほとんど体(テイ)のいい集団暴力でしょ」

 「そうだな。サシの勝負ではなくて、仲間を募って集団で叩くのだから、卑怯っちゃ~卑怯だよな」

 「そ、そうなんです。サシの勝負じゃ、ない」

 「よほど、手強い敵だと思っているんだろう。か、よほど、気に入らないんだろうな。だから、どんなに姑息なチャンスでも、チャンスであればそのチャンスを逃さず、集団で徹底的に叩く、叩き潰す。万が一にも負けは許されないからな。そういう意味で、前者は、まだギリギリ戦略として筋は通っている、と、思えなくもないけれど、後者は、ひたすら恨み辛(ツラ)みまみれの怨念(オンネン)の世界っぽい」

 「いわゆる、ルサンチマン、って、ヤツですか」

 「ルサンチマン?。あ、あ~、ルサンチマン、嫉妬に取り憑かれた怨念、ルサンチマンね。全てが全て、ルサンチマンだとは思わないが、たとえば芸能人叩きなんかは、そのルサンチマンの臭い、しなくはないか」

 考えれば考えるほど、人間なんて、所詮、よほどシッカリと考え、思い、生きていこうとしない限り、スルスルと、スルスルと、ネガティブキャンペーンとイジメとルサンチマンの深い闇に吸い込まれてしまいかねない、情けない、イキモノなんだと、あらためて、あらためて思う。(つづく)

 

 

 

 

追記

 タレントやらがスポンサーやらの高圧力の意向を受けて、その方向に沿ったコメントをしてしまうのは、力関係上、致し方ないか、と、思えなくもないけれど、大手の新聞社の記者までもが、ネットで、ため口で口汚くネガティブキャンペーンとイジメとルサンチマンの片棒を担ぐ、などというコトを耳にしたりしてしまうと、どうしても、この国のメディアって、ジャーナリズムって、いったい、ナニを目指し、ドコに向かおうとしているのか、などなどと、いま一度、無性に問い直してみたくなる。

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1258

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と八十九

「フアン カカエテモ アッショウ」

 そういえば、そのコトと関係があるようなないような、そんな微妙な、ある日の朝刊の、ある記事の、ある見出し。

 「不安抱えても圧勝」

 そう、不安、抱えても、圧勝。

 ある巨大自治体の首長選の結果を受けての記事である。

 しかも、更にそのあとには「横綱相撲」やら「大改革」やらといった逞(タクマ)しく勇ましいワードまでもが続く。

 ちょっとした違和感やら矛盾やらさえ感じるその「不安抱えても圧勝」。に、潜む、その自治体の、ひょっとしたら、この国の、致命的な短所、弱点、あるいは、病魔、みたいなモノがチラチラと透けて見えるような気がして、なんとも落ち着かない気持ちになる。

 「不安抱えても圧勝。に、ザワザワ感が止まらないのですが」、と私。

 「なんだよ、それ」、と、素っ気ないAくん。

 「イロイロと不安要素満載であるにもかかわらず、その現職が、他の候補者を圧倒し圧勝。ソレって、その要因って、いったい、ナンだと思いますか」 

 「ん~、その要因、ね~。・・・、他の候補者がソレ以上にイマイチだった。って、コトなんじゃないの」

 「でも、そのわりには、投票数は前回より増えているんです。とはいっても、有権者の6割程度ですけど」

 「ほ~。と、なると、その、他の候補者は他の候補者なりに、それぞれ魅力ある候補者であったわけだ。けれど、現職の岩盤支持数を上回るには至らなかった、って、コトか」

 「現職のその岩盤支持数は、その程度の抱えている『不安』ごときでは、ビクともしないということですか」

 「おそらく。そもそも、岩盤支持者たちは、端(ハナ)からそんなモノをその現職に期待なんかしちゃ~いないんだろ。嘘をつこうが、誤魔化そうが、大企業と結託して甘い汁を吸おうが、そんなコトはドウでもいい」

 そう言われると、たしかに、岩盤な方々にとっては、そんなコト、ドウでもいいような気がする。

 「僕たちには、到底、理解なんてできっこない、なにか、トンでもなくダークな魅力に満ち溢れているんだろうよ、その現職は、きっと」

 トンでもなくダークな魅力、か~。

 「不安、ならぬ、フアン、ファン。岩盤なファン抱えての、圧勝、な」

 うっわ~。で、出ました、前頭葉の、老化。

 だけど、ソレ、かなり核心を突いている、かも。

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1257

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と八十八

「ハイジョ スベキモノ ガ ヒツヨウ」

 「手っ取り早い票集め」

 ん?

 「の、一番手は、やはり、排除すべきモノを打ち出して声高らかにソレを前面に押し出す、コトだと思う」

 ん、ん?

 「あの人たちには、ナニよりも排除すべきモノが必要なわけ。だから、たとえば、イデオロギー的に全く相容れるコトができないある政党を叩く。あるいは、反体制的で生意気な女性議員を叩く。正しいとか正しくないとかはこの際ドウでもいい。叩くことでスカッとしてくれる有権者たちがいてくれたらソレでいいのだ。だから、どんなクソみたいなネタでも叩けそうなネタは全て使う、使って使って使い倒して、叩く。叩きまくる」

 ん、うっわ~。

 先ほどから、Aくん、なかなか思った結果が見られない選挙というモノに対する苛立ちもあるのか、かなりトゲトゲしい。

 「そもそも、ほとんどのピーポーたちは、政治への不信から、失望から、諦めから、投票になんて行かないのだ。と、なると、どんな手を使ってでも、ソレなりの票数さえ集めることができればドウにかなるわけだからな。おそらく、似非(エセ)労働組合やらカルトな組織やらに擦り寄り、取り入ろうとするのも、そういうコトなのだろう」

 あ、先ほどの、あの、2割の支持が得られればドウにかなる、あとの8割のことなんて、残りの8割のピーポーたちの思いなんて、この際ドウでもいい、という、「2割」政治家、の、コトだ。

 ん~、・・・おっしゃる通り、かもしれない。かもしれないが、トゲトゲすぎて、ナニやらゾワゾワと鳥肌が立つ。

 「見てごらんよ、選挙で負けた体制側ではない女性候補者を。すでに、もう、一人の一般女性、一般ピーポーであるにもかかわらず、ネット、どころか、テレビ、までが、その、長いものには巻かれろ感丸出しの「御用」ぶりを遺憾なく発揮して、オキテ破りのトドメの排除キャンペーンを、寄って集(タカ)って嬉々として展開しているだろ。マジで姑息、というか、下品、というか、恐ろしすぎて、もう、この国、終わったな、としか思えねえんだよな~」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1256

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と八十七

「リソウ ノ タメニ モガク ニンゲン ニ」

 「某国民営放送局の朝ドラでの、のちに『家庭裁判所の父』などと言われたらしい、あるおじさんの、その言葉が、ナンだか妙に五臓六腑に沁みたわけよ」、とAくん。そうだ、そうだった。Aくんは、朝の連続テレビ小説が大のお気に入りなのだ。

 「理想のためにモガく人間に、やいのやいの口だけ出す人間は、いささか軽率だと俺は思う」

 お~、たしかに、いい、いい言葉だ。

 「どうだい、いい言葉だとは思わないかい」

 「思います。致し方なし、とか、必要悪、とか、『わざわざコトを荒立てなくてもソレなりに上手く回っているなら黒塗りも白塗りもいいじゃないか』、とか、に、勇気をもって反旗を翻し、モガきつつもガンバるピーポーたちを、小バカにするかのように冷笑してみたり、あるいは、有無も言わせずバッシングしまくったり、どころか、場合によっては端(ハナ)から全くもって相手にさえしなかったり、と、いった感じのこの現代社会にも、ビタッと当てはまる言葉のような気がします」

 「そうそう、見事なまでに、ビタッと、当てはまるよな~。ほら、つい先日の首長選、アレなんかを見てみても、結局、目先の、その場しのぎの、散蒔(バラマ)きやら再開発やらにどうしても軍配が上がってしまいがちだろ。遠い未来を見据えた『理想』なんかよりも、トにもカクにも直近の、この今の、『カネ(金)、カネ、カネ』なんだろうな」

 あ~。

 理想を語ることが票に繋がらない、悲劇。いったい、この国は、ドコを向き、ナニを目指しているのだろう。コレもまた、悲しいかな、私には、全くもって見当すらつかない。

 すると、Aくん、突然、あの人のあの歌のあのサビを熱唱する。

 ♪ファイトッ

  たたかう~きみっのうったを~

  たたかわないやつらがわらうだろ~

  ファイトッ

  つめったいみずっのなっかを~

  ふるえながらのぼ~って、ゆけ~

(つづく)