rなどはしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十
「ネガティブキャンペーン ト イジメ ト ルサンチマン」
全くもって好ましいコトではないけれど、先ほどもチョコッと話題に上がっていた「ネガティブキャンペーン」、残念ながら、Aくんが苛立っている「選挙」に限ったことではない。そう、気に入らない相手を徹底的に叩く、叩き潰す、コトを、目的にしたネガティブキャンペーンは、悲しいかな、日常生活の様々な場面においても、結構、見受けられたりするのだ。
そんな、この、ネガティブキャンペーン。一対一のタイマン勝負なら、まだ、微かに理解もできるかもしれない。が、アレやコレやとドウでもいいようなコトまでももち出して、周囲に吹聴し、一つの歪んだムーブメントをつくり上げて、束になって口撃し、叩き潰す、みたいな、そんなやり口だけに、ドコからドウ見ても考えても、やはり、いただけない。しかも、そのやり口、小学校やら中学校やらで時折目にする耳にする、あの、「イジメ」の手口とも酷似するものだから、更に一層、心が痛む。そもそも、イジメに正しいイジメなどないのだ。にもかかわらず、ヤヤもすると私たちは、あたかも正しいイジメもあるかのような、そんな錯覚を抱きがちなだけに、そのコトを肝に銘じておく必要がある。
「私は、大いなる責任がある圧倒的な権力を握る権力者が、トンでもないコトをしでかした時、しでかそうとしている時、は、徹底的に糾弾すべきだと思っています。が、ソレ以外は、そう簡単に、人を、束になって口撃なんてすべきではない」
「と、思うわけだ、君は」
「はい。だって、そうでないと、単なる『イジメ』以外のナニモノでもないモノになりかねないでしょ」
「イジメ以外のナニモノでもないモノに、ね~」
「ジャマだから、ウザいから、キラいだから、徒党を組んでイジメる。ソレって、あの、子どもたちの世界の『イジメ』の有りようと、とても似ているように思えてならないのです」
「ん~、ソレはどうだろう」
「えっ」
「むしろ、ソレは、大人の世界のイジメの模倣だろ」
も、模倣?
「無意識のうちに、子どもたちは、大人たちの世界の闇を学んでしまったに過ぎない」
ん、ん~。
「負の学び、だな」
「負の学び、ですか」
「そう、負の学び。それほど大人たちの世界の闇は、おもわず吸い込まれてしまいそうになるぐらい『深い』ということだ」
深い、か~。
ん~、・・・たしかに、そうかもしれないな。
「話が少し逸れてしまうかもしれませんが、たとえば、このところよく耳にするあの『ネガティブキャンペーン』。なんて、もう、ほとんど体(テイ)のいい集団暴力でしょ」
「そうだな。サシの勝負ではなくて、仲間を募って集団で叩くのだから、卑怯っちゃ~卑怯だよな」
「そ、そうなんです。サシの勝負じゃ、ない」
「よほど、手強い敵だと思っているんだろう。か、よほど、気に入らないんだろうな。だから、どんなに姑息なチャンスでも、チャンスであればそのチャンスを逃さず、集団で徹底的に叩く、叩き潰す。万が一にも負けは許されないからな。そういう意味で、前者は、まだギリギリ戦略として筋は通っている、と、思えなくもないけれど、後者は、ひたすら恨み辛(ツラ)みまみれの怨念(オンネン)の世界っぽい」
「いわゆる、ルサンチマン、って、ヤツですか」
「ルサンチマン?。あ、あ~、ルサンチマン、嫉妬に取り憑かれた怨念、ルサンチマンね。全てが全て、ルサンチマンだとは思わないが、たとえば芸能人叩きなんかは、そのルサンチマンの臭い、しなくはないか」
考えれば考えるほど、人間なんて、所詮、よほどシッカリと考え、思い、生きていこうとしない限り、スルスルと、スルスルと、ネガティブキャンペーンとイジメとルサンチマンの深い闇に吸い込まれてしまいかねない、情けない、イキモノなんだと、あらためて、あらためて思う。(つづく)
追記
タレントやらがスポンサーやらの高圧力の意向を受けて、その方向に沿ったコメントをしてしまうのは、力関係上、致し方ないか、と、思えなくもないけれど、大手の新聞社の記者までもが、ネットで、ため口で口汚くネガティブキャンペーンとイジメとルサンチマンの片棒を担ぐ、などというコトを耳にしたりしてしまうと、どうしても、この国のメディアって、ジャーナリズムって、いったい、ナニを目指し、ドコに向かおうとしているのか、などなどと、いま一度、無性に問い直してみたくなる。