ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1132

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六十三

「キュウショク キュ~ショック!」

 給食。

 は、食育。

 食育。

 は、命の学習。

 そう、命の、学習。

 そもそも、給食は、食べれたらソレでいいんだろ、的な、そんな類(タグ)いの単なる食事ではない。というか、そんなモノであってイイわけがないのである。

 それぞれの学校で、調理員さん、栄養士さんたちが、子どもたちのニーズに可能な範囲で応えつつ、もちろん栄養面のバランスも考えつつ、地元の生産者さんたちをも巻き込んで、地産地消を中心に据えた給食をつくる、展開する。コレが理想。子どもたちを大切に思うなら、そうした理想を現実のモノにしていこうという、そして、地域を挙げてより良い給食にしていこうという、そうした気運をグイグイと高めていくことは、当然のコトであるはずだ。

 で、あるにもかかわらず、そうした気運を高めていくコトに背を向けて、デキソコないのお経モドキかナニかのように「ムショウカ~、ム~ショウカ~」と、唱えてばかりの自治体が、このところ、増えてきつつあるように思えてならない。

 この、ム~ショウカ~、「無償化」。耳障りがイイので、たしかに「票」には繋がりやすいかもしれない。が、その裏で、目立たないように唱え続けられている「コストカット~、コ~ストカット~」を、見過ごしてはならない。ナゼなら、教育に対するコストカットは、必ずと言っていいほど、子どもたちを取り巻く教育環境の低下に繋がるからだ。

 そんな、ナンとなく耳障りのイイ、小手先の「ウマい話」。子どもたちにダイレクトに関わってくるコトであるだけに、その手の「ウマい話」には、より鋭い眼力をもって臨む必要がある。

 そう、ウマい話のその裏で、ダークに北叟(ホクソ)笑むように唱え続けられる「コストカット~、コ~ストカット~」の大合唱。その、コストカットがもたらした象徴的な犠牲、ソレが、コトもあろうに「給食」というわけだ。

 見事なまでに弾き飛ばされた給食。

 そう、弾き飛ばされたのだ、給食は。

 民間に委(ユダ)ねた方がコストが掛からない、安価で済む、という実に短絡的な理由だけで、アッと言う間に、ブワ~ッと全国に、民間による給食が広まってしまったのである。

 挙げ句の果てが、今回の事件。

 食材等の高騰により利益が出ず、撤退。倒産。

 民間ゆえ、同然、起こり得るコトである。

 安直な「コストカット」、と、高圧的な買い叩き丸出しの民間への丸投げ、とが、合体することで引き起こされた「必然」、と、言ってもいいだろう。委託された民間業者も、堪(タマ)ったもんじゃなかったのかもしれないな。

 トにもカクにも、さすがに、「給食だけに、キュ~ショック!」などと、前頭葉の老化丸出しに宣っている場合ではないとは思うが、でも、やっぱり、末端の現場は、間違いなく、「冗談抜きに、キュ~ショック!」、だろうな。(つづく)