はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十四
「シャカイ ノ タカラ ト コクエキ トハ チガウ」
「ただし」
ん?
「社会の宝、と、国益とは違う」
んん?
「子どもたちは国益のためにいるわけじゃ、ない」
んんん?
「ソコを間違いがち、というか、間違いだと思っていない、というか、思いたくもない、という権力者が、あまりにも多すぎるから厄介なんだ」
んんんん?
「子どもたちは、あくまでも自由なる『個』として存在する。『個』として存在する子どもたちが『個』として成長する、飛躍する、充実する、満足する、わけだ。そりゃ、結果として国益に結び付くことは大いにあるかもしれないが、いや、きっと、あるに違いないだろうが、しかし、そんなコトは目的でもナンでもない。ましてや、国の役に立つ、とか、国に従順だとか都合がいいとか、といったコトなんて、全くもって関係ないし、どうでもいい」
ん、ん~、・・・。
「にもかかわらず、子どもたち一人ひとりのコトより国益!、と、どうしても思いがちなものだから、だから、あの人たちは、圧倒的な弱者に対して、いとも簡単に、ヤレ生産性がない、とか、ヤレ自己責任だろ、とか、と、平気で宣うことができるのだろうな」
・・・な、なるほど。
Aくんの指摘のその輪郭が、ようやくハッキリとしてきた。
「子どもたち一人ひとりを、ナニモノにも振り回されない『個人』として見るのではなく、国の役に立つモノとしか見れないとしたら、ソレは、かなり危険なコトですよね」
「その通り。ひょっとすると、そんなふうに、子どもたちを国の役に立つモノとしか見れなかったその最悪のケースが、あの、『旧優生保護法』であり、あの、『学徒出陣』であったのかもしれない」
あ、あ~・・・。
社会の宝、と、国益。
この国の未来、と、国益。
たしかに、この両者、最も大事な根本の部分が、全くもって違うような気がする。
(つづく)