はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六十四
「ケンコウテキ ナ キドアイラク ノ スゝメ」
こんな私でも存じ上げているバレエダンサーがいる。とはいえ、彼がヨーロッパでバリバリ活躍されていたのは、もう、随分と昔のことだ。それでも、今も尚、彼の存在感も発信力も影響力も絶大で、この国の、いや、この星の、バレエ界のレジェンドの一人と言っても過言ではないだろう。
そんな彼の、何気なく発せられた言葉が、この国のピーポーたちの弱点を、ズバリ、射抜いているように思えて、なんとも気持ちがいい。
その、気持ちがいい言葉とは。
「ソレが健康的なモノであるなら、喜怒哀楽を出す。我慢などしない。コンプライアンスばかりを気にしない」、という、健康的な喜怒哀楽のすゝめ、で、ある。
すかさず、なるほど、と、思った。
とくに、彼のように芸術を、しかも集団による芸術作品を、つくり出そうとしているのなら、尚のコト、その、「健康的な喜怒哀楽を出す」は、必要不可欠であるように思えたのである。
そう、健康的な喜怒哀楽。ソイツを、躊躇(タメラ)わず、出す。もちろん、芸術の世界に限ったコトではない。ナニかを変えていこうとするなら、絶対、不可欠。不可欠なのだ。
考えれば考えるほど、更に一層、マジで、マジでイイ言葉に思えてくる。
できることなら目立ちたくない。存在感を消し去っていたい。揉め事はゴメンだし、関わりたくも憎まれたくもない。
と、いう、そんな、実にこの国っぽいピーポーたちに、彼の、その、「健康的な喜怒哀楽のすゝめ」は、見事なまでにパッショネイトな一石を投じている。(つづく)