ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1136

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六十七

「ソレハソレ コレハコレ」

 「全てのあらゆるピーポーたちのために、この街の、この国の、この星の、その今を、その先を、未来を、全てマルッと考えに考え抜いて政策を打ち出す。そして、ピーポーたちに、その政策の必要性を根気よく訴える、伝える」

 ん~。

 「けっして、イイコトばかりを宣ってはならない。どんなに有り難い政策であったとしても、ソコには、必ずと言っていいほど弱点やら欠点やらがあるわけだからな。ソコのところを放ったらかしにして、イイコトばかりを宣う、あるいは、『私だから、私たちだから、こんな素晴らしい政策を打ち出せたのです』みたいな、そんなコトばかりを宣うような政治家は、まず、怪しいと、思っていい。場合によっては姑息な『詐欺師』ということにさえなり得る。ソコところをシッカリと見抜ける僕たちでなければ、あの人たちに、僕たちは、いいようにあしらわれてしまいそうな気がするんだよな」

 ん~、ん~、ん~、ん~。

 「とにかく、政治家なんてものは、よほどシッカリとした、真っ当な理念やら信念やらをもち合わせていない限り、つい、つい目先の票集めに、魂を奪われてしまいがちだということ。あの人たちは、票集めのためならナンだって宣うし、ナンだって利用するし、ドンなコトにも首を突っ込む」

 なるほど、なるほどな。

 「たとえば、教育の無償化。私学への進学に対する分厚い補助。たしかに有り難い。ただし、そのコトで、他のトンでもない政策については目を瞑(ツム)り、『お世話になっているから』と、選挙において、安直に『票』に繋げてしまう。と、なると、『体(テイ)のいい合法的買収(バイシュウ)』と思われても、指摘されても、文句は言えないだろ。違うかい」

 体のいい、合法的買収、か~。

 「私も、以前から、選挙前の、一般ピーポーたちにとって旨味のあるカネ(金)のバラ撒きと、買収との違いがわからなくて、ズッとスッキリしないままなのです。票集めのために各戸の郵便受けにおカネを放り込んで回るのと、あまり違わないような気がして」

 「そうだな。僕も、そんな気がするよ。だから、だからこそ、『ソレはソレ、コレはコレ』なのだと思う」

 「ソレはソレ、コレはコレ、ですか」

 「そう。イイものは、たしかにイイ。のだけれど、だからといって、その、ドコまでも怪しい『コレ』までがイイということにはならない。たしかにコレは良くないけれど、ソレで随分と助かっているので、とりあえず、コレには目を瞑り、一票を。などというコトは、絶対に許されない。あくまでもソレはソレ、コレはコレだというコトを忘れてはならない」

 おっしゃる通りだ。

 「ソレもコレもがグチャグチャになってしまえば、それは、もう、限りなく買収に近い」

 「私も、そう思います。つまり、このトンでもないコレを実施せんがために、旨味のあるソレで『票』を釣り上げる。けっしてあってはいけないことです」

 そのトンでもなく厄介なコレのために、近い将来も遠い未来も、そうしたソレの旨味など、吹き飛んでしまうぐらい世の中がタイヘンなコトになると予測されるなら、心を鬼にしてでも、勇気を振り絞ってでも、その有り難いソレを諦めざるを得ないことだって、大いにあり得る。

 ナゼなら、この今は、もちろん、子どもたちにとって大切なこの今なのだけれど、子どもたちがコレから何代も続いていく、何代もスクスクと健やかに続いていかなければならない未来もまた、この今と同様に、いや、それ以上に何十倍も、何百倍も、何千倍も、大切にしなければならない未来であるからだ。(つづく)