ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.548

はしご酒(4軒目) その百と百と八十九

「コミ ト イレ?」

 「こみ、と、いれ、とでは、大違いなんだよな」、と、突然、ワケのわからないコトを宣い出すAくん。

 「コ、コミットイレ、ですか」、と私。

 「コミットイレか~。ナニやら結果にコミットしそうなトイレって感じで、それはそれで、意味不明ながらも、商品化されれば売れそうな気もしなくはないな。でも、申し訳ないが、トイレのことじゃ、ない」

 「たしかに、意味不明ですよね」

 するとAくん、ユルリと、そしてズシリと、「こみ、とは、思い込み、いれ、とは、思い入れ、のことね。大切なナニかをやり遂げようとするとき、思い込み、は、ナニかにつけて見事なまでに足を引っ張ってくれるが、思い入れ、は、大いなるナニかを与えてくれるような、そんな気がするんだ」、と。

 「あ~、その、込み、と、入れ、ですか」、と、ようやく目の前の霧が晴れてスッキリとする私。

 Aくんの指摘通り、「込み」も「入れ」もどちらも、ナンとなく、「into」っぽい、にもかかわらず、その意味合いは随分と違う。

 「そういえば、その数、それほど多くはないものの、私が存じ上げている、ものづくり系の方々も、皆が皆、例外なく、気持ちいいぐらい思い入れが強い、です」

 「ほほ~、つまり、思い入れが良質のコダワリとパワーを生み、突出したナニかをつくり上げる、ということなんだろうな」

 全くもって同感である。

 しかしながら、どうしても、その、光り輝く「思い入れ」の背後で、少々イジケながら不気味に鎮座する「思い込み」のことが、気になって、気になって、仕方がない。

 迂闊に(ウカツ)に、つい、この「思い込み」ってヤツに、上手い具合に丸め込まれたりした日には、ココロもアタマもゴチゴチに硬化して、ドンよりとした独りよがりの沼の中に、ズブズブと沈んでいってしまいそうだ。

 危ない、危ない。(つづく)