はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と五十
「ネンガジョウジマイ ト ユウビンリョウキン ノ ネアゲ ト コノクニラシサ ト」
「幼い頃、♪も~い~くつね~る~と~おっしょお~がつ~、から、♪と~しのは~じめっの~たっめっし~とて~、への、この流れ。が、この国の、ザッツ年末年始だと思っていた」
あ、あ~、年末年始の不動の定番、両巨頭、『お正月』と『一月一日』。けれど、なんとなく、耳にしなくなったような気がする。
「そして、トドメの年賀状」
おっ、お年玉付き年賀はがき。
記念切手シートぐらいしか当たったことはないが、ナゼか毎年、家族の分まで一手に引き受けて、結構ワクワクしながら新聞でチェックしていたような気がする。
「もっと以前は、自らが赴いて『年始の挨拶回り』をしていたようだが、さすがに荷が重くなってきて、の、救世主、ソレが、この、トドメの年賀状」
そうなんだ。
年賀状が、年始の挨拶回りに代わる救世主だったとは。
「年始の風物詩の、コスパ、タイパ、と、言ってもいいかもな」
コスパ、タイパ、か~。
あまり好きな言葉ではないが、いつの時代もソレなりに、コスパ、タイパ、なんだ。
あっ、そういえば、ココにきて、その年賀状も風前の灯だとか。
「郵便料金の値上げを機に『年賀状じまい』がトレンドだと」
「アホの一つ覚えのように値上げ、値上げ、値上げだからな。僕が、僕が社長なら」
ん?
「お年玉と使用期限付き年賀はがき、ってのをつくって、とりあえず、ソイツだけは、意地でも『大幅値下げ』したと思う」
「大幅値下げ、ですか」
「そう。いいコトばかり宣っての民営化だったわりには、結局、案の定の値上げ三昧なわけだろ。その、お詫びの気持ちを込めての、年賀はがきの『大幅値下げ』だ」
なるほど、いいアイデアかも。
だけど、あの人たちは、そんな邪魔臭いことは、まず、しないだろうな。
「ま、日本郵便のことなんて、この際、ドウでもいいんだけれど。ただ、ソレに絡んだドウしても気になって仕方がないコトがあるんだよな」
ん?
「ソレに絡んだ、気になって仕方がないコト、ですか」
「そう。ソレは、値上げが、待ってましたとばかりにピーポーたちの『年賀状じまい』宣言に繋がった、ってコト」
ナゼ、値上げが、年賀状じまい宣言に繋がったか。
流れ的には、ソレを機に、もっと、より、コスパでタイパな年始の挨拶回りツールへと、新たなる救世主へと、姿を変えていきそうなものなのに、そうならずに、一気に、声を揃えて『年賀状じまい』宣言とは。たしかにナゾめいてはいる。
「この国のピーポーたちにとっての年賀状、って、いったい、ナンだったんだろう、ってな」
「ただ、イヤイヤ、致し方なしに出していた、ということなのでしょうか」
「そうとは限らないかもしれないが、その『致し方なしに』感、裏も表もオール印刷の dry and tasteless(ドライ アンド テイストレス)な年賀状が増殖し、横行し始めたあたりから、僕も、感じてはいた」
ドライ、アンド、テイストレス、か~。
だけど。
「だったら、そうした『致し方なしに』感満載の、ドライ、アンド、テイストレスな方々だけを、コレを機に、切ってしまえばいいのではないか、って」
「思うよな、普通。けれど、そうはならない。つまり、つまりだ。向こう側もこっち側も、皆、結局のところ『致し方なしに』年賀状を出していただけ。だったか、それとも、あの人には出すけどこの人にはもう出さないでおこう、などということより、一斉に、同時に、皆、止(ヤ)めてしまうことが、平等。公平。だと、思っているのか。よくわからんが、多分、そんな感じじゃねえのかな~」
ん~・・・。
そうした「致し方なしに」感も、妙な「公平」感も、そして、ヨソからの後押しにチャンスとばかりに乗っかった、体(テイ)のいい縁切り宣言丸出しの「不本意ながらもそういうことですので」感も、なんだか、悪い意味でのこの国らしさのように思えて、少し、胃壁がザラつく。(つづく)