ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.156

はしご酒(2軒目) その五十八

「カミノリョウイキ ト エーアイ ト」

 神の領域、という言葉がある。そして、文字どおりその領域は、太古より、人類ごときが踏み入ることなどあり得ない、アンタッチャブルな領域であったのである。

 しかし、それほど畏れ多い領域であるにもかかわらず、人類は、ソコに踏み入ろうとしてきたし、これからも、おそらく、踏み入り続ける。

 もちろん、全部が全部、そうだとは言わないけれど、たとえば、人類がもたらした「科学の進歩」もまた、人類の止(トド)まることのない欲望がもたらした「神の領域への侵犯」と言い換えても、それほど差し支(ツカ)えはないだろう。

 とはいえ、さすがの人類も心の奥深くで、そうした行為に対する後ろめたさを、そうした行為によってナニかトンでもないコトが引き起こされるかもしれないという不安感を、払拭できないまま抱き続けている。だから、押さえ込むように、覆い隠すように、言い聞かせるように、このセリフを吐き続けてきたのである。ソレが。

 「絶対に大丈夫」

 誰もが、どこかで耳にしたことがある、能天気の申し子、楽観主義の極み、とも言える、歴史的名セリフ。

 そう、「絶対に大丈夫」。コレだ。

 この私も、不覚にも、その名セリフの毒牙に掛かり、術中にはまり、根拠なき楽観主義の餌食となってしまっていた。反省しきり、実に情けない話である。

 だがしかし、私たちは、あの日、あの時、多大なる犠牲と引き換えに、この世には「絶対に」などというものはない、ということを学ぶ。この学びは、トテツもなく貴重だ。

 にもかかわらず、未だに、絶対に安全、絶対に平和利用、と、信じて疑わないシモジモじゃないエライ人たち。その頭の中には、心の中には、いったい、ナニがあるのだろう。一度、覗いてみたいぐらいだ。怖いもの見たさとは、まさにこういうコトを言うのだろうな、きっと。

 トにもカクにも、残念ながら、人類なんて、人類の頭の中なんて、心の中なんて、大したモノではないのだ。そんな人類が、とくにシモジモじゃないピーポーたちが、いくらエラそうに宣ったところで、そんなもの、信用なんてできるはずがない。なぜなら、いつなんどき、悪魔の囁きに惑わされ、狂わされ、その頭を、心を、ダークに染め上げられてしまうかもしれないからだ。それほど、ほんの少しの油断だけで、いとも簡単に、私たちの頭の中も心の中も、悪魔たちにとって棲み易い住環境になりがちだということだ。

 だというのに、ナゼ、あの人たちは、無理やり、安全神話の鎧を身に纏い、神の領域にまで踏み入ろうとするのか。

 たとえば、あの、限りなく神の領域感、満載の、人工頭脳「AI(エーアイ)」。はたして、人工頭脳「AI 」は、仮に、ナニかの弾(ハズ)みであの人たちが悪魔と与(クミ)した場合も、凛として、振り回されず、利用されず、真っ当な道を突き進んでいくことができるのだろうか。

 「あの人工頭脳、AIは、悪魔に、悪魔に乗っ取られた人類に、魂を売ってしまうようなコトはないのでしょうか」

 「人工頭脳え~あいは、ええ、あいか、わるい、あいか、っちゅうことを、言いたいわけやね」

 えっ? 

 またまた前頭葉の老化系、か。

 「それって、あいあ~る、に、あいは、あ~るんか~、っちゅうこととも関係があったりするかもしれへん、っちゅうことやんな」

 ん?

 間違いない。前頭葉だ。

 「あんなもん、どっちも、信用なんかでけへん、って思てる。そもそも、あんなもんに『愛』なんてあるわけあれへん」

 ん~。

 どちらも、信用できないし、愛も、あるわけない、か~。

 そう言い切ってしまうことには、少し、抵抗があるけれど、でも、所詮、人類ごときが考え出した、つくり出したモノ。疑って掛かるぐらいで、丁度いいかもしれないな。

 絶対に大丈夫、は、絶対に、ない。

 そんなもの、絶対にないから。

(つづく)