ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.103

はしご酒(2軒目) その七

「アクション アッテノ リアクション モンダイ」①

 「レンコンのきんぴら、ええんとちゃう~」、とOくん。

 「いいですね~、レンコンのあの独特な食感、好きだな~」、と私。

 「か行とさ行とのちょうど真ん中あたりの食感やよな~」、とOくん。

 一瞬、「ん?」と思ったけれど、たしかに、そんな気がしないでもない。さらに、「スリスリしてレンコン饅頭にして、ポン酢で、ちゅうのんも、たまりまへんな」。私の口の中は、もう丸ごとレンコンになりつつあった。

 ひとしきりの「レンコン愛」論を二人して(ゴキゲンに)展開した後、Oくんは、レンコンのきんぴらを注文した。

 すると、「レンコンもいいですけど、若ゴボウ、どうです? 炒め煮にしたのがありますけど」、とお兄さん。

 「若ゴボウ?」、パッと見はフキ、ヒスイ色が美しい、季節感が際立つ、そんな野菜なのだそうだ、が、なんと、Oくん、「それがええわ、それにして」、と、いとも簡単に、すでに、口の中どころか、口そのものが完全にレンコン化してしまっていた私は、椅子から転げ落ちそうになった。

 コレコレの理由で、こうでなければならない、というコトがある。こうでなければ、あんなこんなそんなリスクが予想される、だからこその、こうでなければならない、である、はずである。にもかかわらず、あるアクションによって、「えっ!?」という感じで、こうでなくてもよくなってしまったりすることが、あったりするから、タイヘンなのである。

 それまでの、こうでなければならないのだ、は、一体全体、なんだったのだろうか。まさに、ナゾがナゾ呼ぶ、ナゾナゾ「こうでなければならなかったんじゃないの」ワールド、である。

 この「レンコンのきんぴら」事件のような個人的なコト(ショックはショックであったけれど)なのであれば、ま、個人のコトなので勝手にやってくれればいいが、それが、国やら、地方自治体やら、(おそらくAくんやOくんが身を置く)教育関連の組織やら、のコトとなると、少々話は違ってくるはずだ。

 それを、「フットワークが軽い!」などと賞賛される方もおられるようだけれど、はたして、ホントにそうなのであろうか。(つづく)