はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と二十一
「ジジョ ト ジュウジュン ト ガマン ト」
「国を挙げて取り組んできた『道徳』教育の成果が、ココにきて、ようやく、って、感じだよな~」
へっ!?
ど、道徳教育の、成果?
「とくに、その核となる自助と従順と我慢の豪華三本立て、三本の矢、は、子どもたちを、より良い方向に導いてきた」
ん~。
Aくん、本気でそんなコトを思っているのだろうか。
「わけねえだろ、バカやろう」
お~、安心した。
もちろん、時と場合によっては、その豪華三本の矢を必要とすることもあるかもしれない。しかし、だからといってそんなモノが道徳だとは到底思えない。
「文句も言わず批判もせず、ルールを守って、ただひたすらジッと堪えて我慢して、己のコトは己でどうにかする。たとえ、どうにかできなかったとしても、文句も言わず批判もせず、ルールを、みたいな、そんな人間ばかりなら、そりゃ、やり易いだろうよ、あの人たちにしてみれば」
あの人たちにしてみれば、やり易い、か~。
やはり、どう考えても、道徳ではない。
皆とともに社会生活を営んでいくための最低必要条件みたいなモノが道徳なら、そんなモノ、わざわざ時間を割(サ)いて授業としてやる必要なんてない。その豪華三本の矢を大きな紙にでも書いて、教室の黒板の上あたりにデ~ンと貼っておけばいいのだ。
「私は」
「ん?」
「私は、むしろ、ナゼ、自助なのか。ナゼ、従順なのか。ナゼ、我慢なのか。の、その向こう側に、裏側に、こそ、目指すべき道徳の本来の姿があるような気がしてならないのです」
「『ナゼ』を掘り下げるコトに意味があると」
「そうです。道徳は、あの人たちが大好きな『教育勅語』のようなものではなく」
「哲学、哲学そのもの、で、あるべきと」
「そうです。哲学でなければならない、と、思います」
「同感だ。もちろん、噛み砕き、魅力ある授業に仕立て上げる、その、学校の先生の手腕、力量、は、試されそうだけれど。ま、なんにせよ、あの人たちには徹底的に嫌われるだろうな」
あ~、たしかに。
嫌われる、どころか、「道徳の授業をナンと心得る、けしから~ん!」などと、思いっ切り糾弾されてしまうかも。(つづく)