ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1181

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と十二

「ヒガイシャ ニ ヨリソエナイ ジジョ シジョウシュギ キョウイク」

 「へそ曲がり、の、すゝめ」

 ん?

 「こんな、ヤヤもすると、いとも簡単に、ダークカラー一色に染まりがちな世の中であるだけに、空気に呑まれない、風潮に流されない、そんな『へそ曲がり』たれ!、と、ズ~ッと言わせてもらってきたが、やっぱり、今、求められているのは、へそ曲がりだよな。心底、そう思うよ」

 へそ曲がり、たれ!、か~。

 今宵だけでも何度か登場した「へそ曲がり」。その、ドコまでも懐疑的で独立独歩な姿勢ゆえ、そして、世の中の方が曲がっているとしか思えないような今日この頃ゆえ、曲がっている曲がっていると言われ続けてきた「へそ曲がり」たちの方が、むしろ、微塵も曲がってなどいない「へそ真っ直ぐ」なのでは、と、このところ、私も、マジで思い始めている。

 「たとえば、このところ、どうも気になって仕方がない『空気』、『風潮』、が、あるわけよ」

 んん?

 「被害者に寄り添えない」

 んん~。

 「好きな人だし、応援もしてきたし」

 んんん?

 「だから、ヘタをすると、加害者に寄り添ってみたりさえする」

 んんん~。

 「どころか、被害者面(ヅラ)はしているが、売名行為なんじゃないの、と」

 な。

 「あるいは、カネ目当てだろ、と」

 な、な。

 「そもそも、被害者側にだって落ち度はあったはず。ようするに、それって、自業自得だろ、と、宣ってしまいがちなわけよ」

 な、な、なんと。

 「ナゼ、この『空気』、この『風潮』が、とくにネットなどで、コレほどまでに席巻(セッケン)しつつあるのか。不思議だとは思わないかい」

 思う。メチャクチャ、思う。メチャクチャ、不思議。

 ナゼなのか。ナゼ、どちらかというと「判官贔屓(ホウガンビイキ)」系とさえ思われていたこの国のピーポーたちが、「寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ」系に落ちぶれ果ててしまったのか。サッパリ、わからない。

 「自助」

 ん?、じ、じじょ?

 「まさに、己のコトは己で、という、『自助』至上主義教育の成果、賜物(タマモノ)なのかもな」

 ん~、自助、至上主義教育、とは、いったい。

 「全ては、個人に責任がある。だから、個人のコトは個人で、が、当然のコト。本人の努力不足を棚に上げて、他者に、とくに公に、助けを求めるなんてナニゴト。恥を知れ、弱者どもよ。みたいな、そんなトンでもない感じに世の中が、なりつつあるような気がしてならないんだよな~、僕は」

 な、な、なんと、なんということだ。

 「もちろん、皆が皆、というわけではない。被災する度に、毎度毎度、あれだけの数のボランティアたちが、居ても立っても居られず駆け付けるのだ。ホント、頭が下がるよ、素晴らしいよ。だけど、だけどだ。その真逆側に、グチュグチュと増殖する自助至上主義者たちがいることを、忘れるわけにも、無視するわけにも、いかない」

 さ、最悪だ。

 売名行為だろ、カネ目当てだろ、自業自得だろ、という、必殺の「口撃」だろだろだろトリオ、を、主食にして、自助至上主義者たちは、コレからも、血の通わない机上(キジョウ)の屁理屈ばかりを捏(コ)ねて、グチュグチュと、グチュグチュと、グチュグチュと増殖していくのだろうか。(つづく)