ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1106

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と三十七

「ダンドリ ト オモイヤリ」

 ある宮大工の棟梁の、まだまだコレからという前途有望な若い衆たちへの、ナニ気ない言葉、ソレがコレ。

 段取りと思いやり。

 そのドチラかが欠けてもイイ仕事はできない、と、力むことなくサラリと言い添える。

 車に例えるなら、おそらく、オツム(御頭)とハート(真心)の両輪があってこそ、安全に、確実に、乗り心地も良く、目的地に辿り着ける、というような、そんな感じか。

 さすが宮大工の棟梁。ナニ気ない言葉に重みも深みもある。

 あえて、あえてもう一度。

 そう、段取り、と、思いやり、だ。

 しかし、そんな段取りと思いやりであるにもかかわらず、たとえば、このところのこの国の、あるいは自治体の、ビッグプロジェクトに、ビッグイベントに、おいては、ナゼか、ストンと、見事なまでに抜け落ちてしまっているように思えてならないのだ。それほど、この、段取りと思いやりは、すでに、もう、シモジモじゃないエライ人たちによって軽んじられ、蔑(ナイガシ)ろにされてしまっている、と、いうことか。

 実に悲しいコトだが、たとえば、あのオリンピックにしても、結局、そのコトが実証されてしまったように思える。ひょっとしたら、数年後に予定されている例の関西地区のビッグプロジェクトも、不幸にも同じように実証されてしまうかもしれない。もちろん、実証などされずに、誰もが納得できる「段取りと思いやり」のビッグイベントになってくれるに越したことはないわけだが。

 そのためにも、まず、即刻、あの、致命的とも思われる隠蔽(インペイ)、捏造(ネツゾウ)、欺瞞(ギマン)体質を、ナニがナンでも払拭されんことを、心から願う。(つづく)