ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1096

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と二十七

「ガッコウガ ワタシノ アシヲ ヒッパル」②

 そうはさせまいと、間髪入れずに「そんな国や行政を尻目(シリメ)に、熱き心で充満した一般ピーポーたちが、子どもたちの避難所を、居場所を、つくっておられますよね」、と。身近に、苦労しつつも地道に、そうしたコトに取り組んでおられる方々がいるだけに、ココは、かなり自信をもって、語ってみせた、私。そんな方々を存じ上げているだけに、どうしても、シモジモじゃない、あの、おエライ人たちにも大いに期待をしてしまうのだけれど、たいてい、その期待は、グジュグジュと崩され、葬り去られてしまう。

 するとAくん、どうにかこうにか、沈黙タイムまであともう一歩というトコロで踏み止(トド)まり、振り返り、独り言(ゴ)つように、ボソリと。

 「学校は、・・・、学校ってヤツは、結局、先生は、生徒は、男子生徒は、女子生徒は、授業は、ついでに、家庭は、家族は、親は、こうあるべき、こうでなければならない、という呪縛から、逃れられないと思う」

 あ~。

 なんとなく、ソレ、わかるような気がする。

 子どもたち一人ひとりの、多様性に満ち満ちた可能性が、あらゆる壁をブッ潰して多方面に力強く広がっていく、というイメージ。残念ながら、今の学校という組織、システムからは、感じづらい。

 「ナゼか妙に頑張る先生たちも、このままじゃ、いずれ疲れ果てる。に、違いないし、ナゼか妙に気持ちいいクラスメートたちも、ジワジワと追い詰められて、やっぱり自分のコトで精一杯、に、なる。だから、だからこそ、そういった限界感漂う学校というモノから少し離れたトコロに、子どもたちの避難所、居場所、が、必要になってくるのだろうな。毎度のことながら、子どもたちのために地道に取り組むその姿勢、ホント、マジで感服させられるよな」

 おっしゃる通り。

 頭が下がります。

(つづく)