ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1135

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六十六

「ソンタクン ハビコル!」

 「もう、ドコからドウ見ても考えても、余程のコト以外は、やらかしたコト、ではなく、やらかしたヒト。そのヒトがダレなのか、で、世の中の反応は、動きは、大きく変わってくる。と、思わざるを得ないんだよな」、とAくん。

 コトではなく、ヒト、か~。

 たしか、たしかにソウかもしれない。

 たとえば、芸能人たちの不倫。

 芸能人に、ソコまで道徳的なモノを求めていない私は、そもそも家族の問題ゆえ、その家族が納得さえしていれば、「ま、イイんじゃないの」、と、サラリとスル~することがほとんどである。基本、正直、どうでもいい。

 しかしながら、世間の目はソレほど寛大でも無関心でもないようで、多くの芸能人たちが、結構な社会的制裁を、受けることを余儀なくされる。

 のだけれど、中には、同じようなコトをやらかしているにもかかわらず、ナニもなかったかのように、まるで無風の、実に恵まれたお笑いタレントがいたりするものだから、興味深い。

 ナゼ、そんなコトが起こり得るのか。

 その個人の人徳か、力量か、存在価値か。あるいは事務所の、もしくは親の、チカラか。

 ナンにせよ、個々によって、そうした制裁の著しい格差があるというのは、けっして好ましいことではないはずだ。その手の、大人たちの世界のダークな矛盾が、子どもたちの心の成長に、歪んだナニかを与えているように思えてならないからである。

 「コトではなくヒトで変える、という、その、スジが全く通っていない制裁格差は、単なる忖度まみれの理不尽なイジメ、以外の、ナニモノでもないと私は思います」

 「法も厄介だが、法には触れないけれど道徳的にドウだろう、みたいなコトの方が、むしろ、さらに厄介なのかもな」 

 法には触れない道徳的なコトの方が、厄介、か~。

 「なぜならソコに、明確な基準がないから。ソレゆえ、そのヒトの、その立場のチカラによって、見事なまでに忖度しまくる『ソンタクン』たちが蔓延(ハビコ)り始めるというわけだ」

 蔓延り始める、ソンタクンたち、か~。

 「では、そうした巷に蔓延りがちなソンタクンたちに対して、ナニか打つ手は、打開策は、あるのですか」

 「あるには、ある」

 おっ。

 「打開策は、ただ一つ。ナンと言われようが、そのあとドンな仕打ちを受けようが、ソンタクンたちに忖度された者が、勇気を出して、『私だけを忖度し、優遇するのはやめてもらいたい』と、拒否する。辞退する。ソレしかないだろ。ソレによってソンタクンたちが、正しきコトに目覚めてくれるのを、期待するしかない」

(つづく)