はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六十六
「ソンタクン ハビコル!」
「もう、ドコからドウ見ても考えても、余程のコト以外は、やらかしたコト、ではなく、やらかしたヒト。そのヒトがダレなのか、で、世の中の反応は、動きは、大きく変わってくる。と、思わざるを得ないんだよな」、とAくん。
コトではなく、ヒト、か~。
たしか、たしかにソウかもしれない。
たとえば、芸能人たちの不倫。
芸能人に、ソコまで道徳的なモノを求めていない私は、そもそも家族の問題ゆえ、その家族が納得さえしていれば、「ま、イイんじゃないの」、と、サラリとスル~することがほとんどである。基本、正直、どうでもいい。
しかしながら、世間の目はソレほど寛大でも無関心でもないようで、多くの芸能人たちが、結構な社会的制裁を、受けることを余儀なくされる。
のだけれど、中には、同じようなコトをやらかしているにもかかわらず、ナニもなかったかのように、まるで無風の、実に恵まれたお笑いタレントがいたりするものだから、興味深い。
ナゼ、そんなコトが起こり得るのか。
その個人の人徳か、力量か、存在価値か。あるいは事務所の、もしくは親の、チカラか。
ナンにせよ、個々によって、そうした制裁の著しい格差があるというのは、けっして好ましいことではないはずだ。その手の、大人たちの世界のダークな矛盾が、子どもたちの心の成長に、歪んだナニかを与えているように思えてならないからである。
「コトではなくヒトで変える、という、その、スジが全く通っていない制裁格差は、単なる忖度まみれの理不尽なイジメ、以外の、ナニモノでもないと私は思います」
「法も厄介だが、法には触れないけれど道徳的にドウだろう、みたいなコトの方が、むしろ、さらに厄介なのかもな」
法には触れない道徳的なコトの方が、厄介、か~。
「なぜならソコに、明確な基準がないから。ソレゆえ、そのヒトの、その立場のチカラによって、見事なまでに忖度しまくる『ソンタクン』たちが蔓延(ハビコ)り始めるというわけだ」
蔓延り始める、ソンタクンたち、か~。
「では、そうした巷に蔓延りがちなソンタクンたちに対して、ナニか打つ手は、打開策は、あるのですか」
「あるには、ある」
おっ。
「打開策は、ただ一つ。ナンと言われようが、そのあとドンな仕打ちを受けようが、ソンタクンたちに忖度された者が、勇気を出して、『私だけを忖度し、優遇するのはやめてもらいたい』と、拒否する。辞退する。ソレしかないだろ。ソレによってソンタクンたちが、正しきコトに目覚めてくれるのを、期待するしかない」
(つづく)