はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と六
「フツゴウナ シンジツヲ カタリタガラナイ ゴヨウ コメンテータータチ」
「先ほども話題に上った『政治的公平性』。その政治的公平性に対して、『政治的公平性は斯(カ)くあるべし』などとエラそうに語っておられるシモジモじゃないエライ人たちにはタイヘン申し訳ないが、あの人たちの頭の中には間違いなく、コッソリと、『不都合な真実』なるモノがある、と、僕は確信している」、とAくん。
コッソリと、不都合な真実、か~。
仮に、政治家たちが隠蔽したがる、あるいは、メディアたちが報じたがらない、ついでに、ナゼか、一般ピーポーたちまでもが知りたがらない、ような、そんな不都合な真実みたいなモノがあるとするなら、たしかに厄介なコトになってしまいそうな気は、する。
「たとえば、テレビの報道バラエティ番組。に、登場するコメンテーターたち。の、あの、忖度(ソンタク)まみれの御用ぶりには恐れ入るよな」
忖度まみれの、御用ぶり?
あ、あ~。御用学者の、御用、ね。
「圧倒的な権力を握る権力者や、ソコに擦り寄る支持者たちが、場合によっては大いなる過ちを犯すコトだってあり得るわけだろ。その過ちを、その過ちの可能性を、その気配を、危惧を、いったいダレが指摘するんだよ、って話だよな」
「メディアまでもがソコに擦り寄ってドウするんだ、というコトですか」
「そう、そういうコトだ。圧倒的な権力を握る権力者を批判するコトが政治的公平性を欠くことになるなんてことが罷り通ってしまえば、もうソレは、メディアの終焉を意味する。とは思わないかい」
メディアの、終焉、か~。
あっ。
「そういえば、ある元新聞記者が、こんなコトを言っておられました」
「ん?、なんて、言ってたんだい」
「その責任と影響力の大きさから、特に大手メディアの、ジャーナリズムをドコかに置き忘れてきたようなジャーナリストたちは、もう、ジャーナリストと名乗る資格なし」
「なかなか手厳しいな。じゃ、ナンて名乗ればいいんだい」
「会社員。会社員で充分、だと」
「ほ~、なるほどね。会社員なら仕方ないか。会社の方針もあるし、上からの業務命令だってあるだろうしな」
トにもカクにも、コメンテーターとしてメディアでエラそうにナニかを語ろうとするなら、ほんの少しでも己をジャーナリストと思うのなら、不都合な真実に目を瞑(ツブ)るような情けないコトだけは、絶対にしてはならない。と、私も思う。ソレができないなら、できないと言うのなら、その元新聞記者が言うように、会社員で充分だ。会社員としてその会社に、忠誠を尽くし続ければいい。(つづく)