はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と十三
「ショウケン ショウシユイ ショウギョウ」
「自分とは、全く異なる意見、考え、価値観、の、相手が、今、ソコにいる、と、しよう」
ん?
「そんな『あなた』に対して、君は」
そんな「あなた」に、私が?
「あなたのその意見の、考えの、真意。ソレを、無性に知りたくなる。それゆえ、そんなあなたに、あなたの言葉に、最大限に耳を傾ける」
ん~。
「あるいは、あなたの、その考えではダメなんだ。そのダメさ、間違い、勘違い、を、気付かせてあげないと。と、全力で説得を試みる。場合によっては力付くででも」
んん~。
「もしくは、あなたなんかに、誰も注目なんてしていない。なのに、ナゼ、バカみたいに熱くなって、強きモノを批判して悦に入っているんだよ。ま、そうやって、自己満足だけで生きていけばいいじゃん。と、冷ややかに、ほくそ笑む」
んんん~。
「さ、君なら、どうする」
見事なまでの三者三様。
さて、どうしたものか。
「ドレにも」
「ん?」
「ドレにも、当てはまらない、かも、しれません」
「ドレにも、かい」
「ドレにもです」
ナゼなら、そもそも、そうした相手に対して「距離を置く」のが私のスタンス。だから、必要以上に「知ろう」とも、「諭(サト)そう」とも「バカにしよう」とも思わない。
「『あなた』に、ソコまで関わろうとしない私にとって、どのタイプもピンとこないのです」
「知ったこっちゃないか」
「知ったこっちゃない、とまでは言いませんが、人それぞれですから」
「人それぞれ、ね~」
「随分とタイプが違う三者に見えますが、『上から目線』という点では共通しているようにも見えますから」
「上から目線、ね~。なるほど。たしかに、なんとなく、三者とも上から目線だ」
と、エラそうに宣ってはみたものの、あまり褒められたモノじゃない、という思いも、シッカリとある。私にとっての「距離を置く」は、ほとんど「無難にやり過ごす」と同じだからだ。所詮、コトなかれ主義。単に人間関係が壊れてしまうことを恐れているに過ぎない。
「それでも。それでもだ。もし、その『あなた』が強引に、理不尽に、君にアクションを起こしてきたとしたら、どうだい」
強引に、理不尽に、か~。
「その時でさえも、君は、『人それぞれですから』と逃げを打つつもりかい」
逃げを打つ、・・・。
情けない話だが、その時でさえ、私は、ズッと、無難に、やり過ごしてきたような気がする。
「そのアクションが、君を、君の生活を、未来を、脅(オビヤ)かす、トンでもないアクションであるなら、やはり、捨て置くわけにはいかんだろ。違うかい」
違わない。違わないが、今、ココにいる私は、そうすることしかできない、そうすることで生きてきた、「私」なのである。
なんだか、目一杯、滅入ってきた。
だけど、Aくんが言うように、捨て置くわけにはいかないだろうな。
「だからこその、正見(ショウケン)」
しょ、しょうけん?
「いかなる先入観も邪念も、排除。そして、クールに、目を、耳を、心を、開いて」
目を、耳を、心を、・・・。
「正思惟(ショウシユイ)」
しょ、しょうしゆい?
「文字通り、正しき思惟。うわっ滑りではない洞察力。その洞察力で、もって」
うわっ滑りではない、洞察力、・・・。
あっ。
ひょっとしたら、先ほども話題に上がっていた八正道(ハッショウドウ)、か。
「そして、トドメの、正業(ショウギョウ)」
「正業。たしか、正しき行動。ですよね」
「そう。その、トドメの正道、正しき行動がなければ、いくら目を、耳を、心を、開こうが、深く洞察しようが、ほとんど意味がない」
ほとんど意味がない、・・・。
ふ~。
正業、か~。
正しき行動どころか、どのような行動であれ、行動を起こすこと自体が、情けなくなるほど苦手な私にとって、その正業、ナニよりもハードルが高い。(つづく)