ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1113

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と四十四

「リスキリング リスキル キリング キリング? キリング フィールド?」

 今、ジワジワと、ナンとなく不気味に揺れ動きつつあるような気がしてならないアジアなのだけれど、そんなアジアの半世紀前の、ある国の内乱を、ひとりの、いや、ふたりの記者の目から描いた、私イチオシの一本の映画がある。

 ソレが、『キリング・フィールド』。

 ピューリッツァー賞受賞のノンフィクションが原作であるこの映画は、実話ということもあって、想像以上に重い。しかし、どの国も、ナニかの弾みでコウなってしまうという可能性を、危険性を、秘めているんだというコトを、私たちは忘れるべきではない。

 そんな『キリング・フィールド』という映画を、ナゼか、私は、このところ巷を賑わしている「リスキリング」という言葉を耳にするたびに思い出す。

 すぐさま辞書で調べてみたが、「キリング」と「リスキリング」にはナンの関係もなさそうだ。しかし、どういうわけか、その後も、リスキリングと聞くとキリングを連想してしまう。どころか、そのまま一気にキリング・フィールドにまで行き着いてしまう。

 ナゼなのだろう。

 その、そのナゼを、解く、カギは、いったいドコにあるのだろうか。

 そもそも、ナゼ、今になって、突然、政府が、シモジモじゃないエライ人たちが、リスキリング、リスキリング、と、言い出したのか。

 ひょっとしたら、あの人たちが、そんなコトを言い出さなければならないほど、この社会にトンでもないナニかが起こり始めている、と、いうコトなのだろうか。

 そう、そうだ、きっとそうに違いない。

 いつのまにか、この社会が、弱肉強食の、適者生存の、もう一つのキリング・フィールドに、もう一つの戦場に、・・・。(つづく)