はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と八十六
「コレカラノ センソウッテ プロガ ヤルワケデスヨ」
ナゼだろう。
ふと、数年前の、あるコトを思い出す。
ある、驚くほど若い軍事アナリスト(?)っぽい女性が、「コレからの戦争って、プロがやるわけですよ。昔のような素人がやる戦争ではない」、みたいなコトを、澄ました顔をして自信満々に宣っていたのである。
ふ~ん・・・、コレからの戦争ってプロがやるわけですよ、ね~。
その時の私の素直な気持ち、ソレは、こんなトンでもない迷言を、ナンの疑問ももたずに、居酒屋ではなくテレビで、よく宣えたものだな、という思いと、もう一つ、テレビ局もまた、こんなトンでもない迷言を、よく垂れ流せたものだな、という、思い、で、あったわけだけれど、同時に、私は、そうしたちょっとした呆然自失な感じを軽く飛び越えて、むしろ感心さえしてしまったことを今でもハッキリと覚えている。
ほんの、ほんの少しだけでいいのだ。
ほんの少し、世界に目を向けただけで、ソレが、現実離れした戯言(タワゴト)であるコトがわかるはずなのに、ナゼか、その似非(エセ)軍事アナリスト当人も、ソレに賛同するピーポーたちも、目を向けない、目を向けたがらない。
でも、それでもやっぱり、あらためて、声を大にして言いたい。
ほんの、ほんの少しだけでいい。
世界に目を向けてくれるだけでいいのだ。
さすれば、見えて、くるはずなのである。
この星の、どれほどの、戦争のプロなどではない弱者たちが、権力者たちのトンでもない愚行によって、特別でもナンでもないごく普通の生活を奪われているか、そして、命を落としているか、が。
そう、そういうコトなのだ。
ソレが、ソレこそが、戦争、まさに戦争というモノの現実なのである。
たとえソレが、正義のための戦争であろうが、防衛のための戦争であろうが、いったん戦争の火蓋が切られれば、取り返しがつかないほどの多くの大切なモノが、敵味方関係なくドチラも、筆舌に尽くし難い苦しみと悲しみとともに奪われ、失われてしまうのである。
そう、もう、取り返しなど絶対につかない。
そのコトを、私たちは、けっして忘れるべきではない。
(つづく)