はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と六十三
「ジュンスイコウキシン ノ ススメ」
「純粋好奇心!」
ん?
「純粋好奇心のすゝめ、だ」
んん?、じゅ、純粋好奇心の、すゝめ?
「ナニモノにも左右されない、邪魔されない、振り回されない、純粋なる好奇心。この、ただ真実を知りたいだけなんだ、という純粋好奇心こそが、この世の歪みを、乱れを、修正できる唯一なのではないか、って、僕は思っている」
ただ、純粋に、真実を、か~。
「にもかかわらず、悲しいかな、そうした真実を知りたい、という思いのエナジーは、このところ、ウンと低下しつつあるような気がしてならないんだよね」
ん~。
真実を知りたい、という思いのエナジーの、低下、か~。
そう言われると、たしかに、テレビのニュースバラエティ番組などを見るにつけ、ソレに近い思いを感じることはある。
たとえば、その道の、真っ当な専門家でもナンでもないコメンテーターが、局やらスポンサーやら番組やらの方針に沿った、ソレなりに視聴率も稼げそうなコメントを垂れ流す。そして、一般ピーポーたちは、そうした垂れ流しを無防備に受け入れてしまう。当然のごとく、こうしたコトの危険性は、言わずもがな、である。
「立花隆」
ん?
「立花、隆。好きだったんだよな~」
あっ、あ、あ~。
「その人、たしか、知の巨人、と、言われていた人ですよね」
「そう、知の巨人、立花隆。『真実を知りたい』の塊(カタマリ)のような彼こそが、まさに、純粋好奇心の人、な、わけ」
知の巨人、立花隆、か~。
「もちろん、ダレもが立花隆になれるとは思わないが、純粋に真実を知りたいんだ、知りたいだけなんだ、というその姿勢は、大いに学ぶべきじゃないか、ってね」
その通りだ。と、私も思う。
都合の悪いコト、自己否定に繋がってしまうようなコト、知りたくないコト、知ったところでドウしようもないとしか思えないコト、といったコトコトコト、にも、私たち一人ひとりが、勇気をもって、力強く、それでいて冷静に、歩み寄り、踏み込み、切り込んでいかなければ、権力者たちの暴挙も、致命的な愚行も、誤った方向に引き摺り込もうとするポピュリズムも、原理主義的なモノの考え方も、カルトも、絶対に、この世から消え去ることなどないように思えるからだ。(つづく)