はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と六十一
拍子抜け気味のAくんのその言葉から、あらためて、リテラシーを獲得することのそのハードルの高さが、リアルに眼前に迫ってくる。
しかしながら、そうは言っても、もちろん、リテラシーなるものを軽んじてしまえば、トンでもないコトが、私たちが気付かないうちに起こってしまうのではないか、という危惧もまた、ズシンと重くある。
ナニが正しいのか。
ナニが正しくないのか。
正しくないとはナンなのか。
ある人が、以前、こんなコトを話していたことを思い出す。
正しきコトには、必ず弱点がへばり付く。
正しきコトを語る人は、必ず、その弱点を語る。
悪しきコトには、必ず美味い話がへばり付く。
悪しきコトを語る人は、必ず、へばり付いている美味い話ばかりを語る、語りたがる。
そんな内容であったかと思う。
おそらく、彼は、どれほど美味い話でも、まず、疑ってかかる姿勢を忘れることなく臨むことが大切、ということを、一つの教訓として私たちに告げようとしていたのだろう。
あえて、リテラシーパワーと呼ばせてもらおう。
美味い話。
甘言蜜語(カンゲンミツゴ)。
ズル賢い悪魔たちの囁きのようなソレらに、私たちのリテラシーパワーは、はたして、惑わされることも怯(ヒル)むこともなく、立ち向かうことができるだろうか。(つづく)