はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と二十一
「オロカニモ オロカナル ビカ」
過去において、やってしまった愚行を、愚行のまま愚行として歴史に刻むことに、大いなる抵抗がある人たちがいる、とAくん。
愚かなる行いを愚かだと認められない愚かさほど厄介でタチの悪い愚かさはない、と、ナニやら、「愚かさ」づくしの早口言葉か、呪文のような、そんなモノ言いで付言する。
「言い訳、言い逃れ、と、ナンとなく似ていますよね」、と私。
「似てはいるけれど、もっと、もっと厄介で、タチが悪い」、とAくん。
もっと、もっと厄介で、タチが悪い?
「ソコに、美化したいという、歪んだ強い意志がへばり付いているから」
美化したい?
「たとえ、どれほど、ダレかのせいにしようと、ナニかのせいにしようと、したとしてもだ、あくまで自分が悪いのだという自覚が、そのベースにある言い訳やら言い逃れやらに、美化したい、という意志は、へばり付いていない」
へばり付いて、いない?
なるほど、たしかに、美化したい、ではなく、とりあえず、ごまかして逃げ切りたい、だけ、のような気はする。
「そして、愚行は、ソレが、国家ぐるみの巨大な愚行であればあるほど、美化しないわけにはいかなくなる」
美化しないわけには、いかなくなる?
「その愚行の、あまりの罪の大きさに、深さに、堪えられなくなるからだ」
国家ぐるみの巨大な愚行、か~。
朧(オボロ)げながらも、その輪郭が、ようやく見えてきた。
やってしまった愚かなる行いを直視することなく、ソレを美化しようとする「愚かなる美化」が、おそらく、愚かにも愚行を繰り返すこと、に、繋がっていくのだろうな、という思いが、キリキリとした胃の痛みを伴いつつ、ジワジワと、「朧げに」から「確信に」へと変わっていく。(つづく)