はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と三十八
「デグチノミエナイ フミンショウ」
「学校の先生時代」
ん?
「子どもたちに向けて、それまで何度もイヤというほど使いまくっていたある言葉を、ある日、ある時、から、プッツリ使わないようにしたんだよな」、とAくん。
んん?、使わないようにした、言葉?
「ナニか、あったのですか」、と私。
「あった、というわけじゃないんだが、これからあるんじゃないか、という、懸念、不安が、その言葉を使うコトに纏(マト)わり付きだした、という感じかな」
「子どもたちにその言葉を使うコトで、ナニかを引き起こさせてしまうかもしれない、ということですか」
「そう。しかも、負のナニかをね」
負のナニか、とは。
「だから、ある時から使わなくなった」
Aくんが、ある時からプッツリと使わなくなった、その、負のナニかを引き起こすかもしれない言葉とは、いったい、ナンなのだろう。
「励ますつもりで発した言葉が、逆に、子どもたちを追い詰めてしまうことに繋がってしまうかもしれない、ということだ」
励ます言葉が、逆に、追い詰めてしまうことに繋がる?
「が、ん、ば、れ」
え?
「が、ん、ば、れ」
「が、がんばれ、ですか」
「そう、がんばれ」
がんばれ、か~。
たしかに、相手を、自分を、鼓舞するために、何気に使ってしまう言葉ではある。
「眠れる力を呼び覚ます魔法の言葉だと思っていた、信じていた。のだけれど、眠っているには眠っていなければならないだけの理由がある、ということなんだよな。そのことに、ナンとなく気付いてしまったものだから、その時に、やめた。それからは、子どもたちに、その言葉を使ったことは、ないかな」
そう語るとAくんは、おもむろに、テーブルの上の、役目を終えた何枚かの小皿を重ね、またまた奥へと姿を消す。
すっかり寂しくなったテーブルの上に、一枚だけ小皿が残される。その小皿から、ナニやら頻(シキ)りに、物憂げな眼差しをコチラに向けていた(ような気がした)かぶら寿しを、一切れ、つまみ上げて口の中に放り込む。やっぱり美味い。後を追うように流し込まれた酒との相性もいい。
眠っているには眠っていなければならないだけの理由がある、か~。
にもかかわらず、力尽くで目覚めさせてしまったばかりに、そのあと、ずっと、子どもたちが、「出口の見えない不眠症」に悩まされることになってしまうかもしれない。のであれば、やはり、その言葉を使うことに、慎重にならざるを得ないとは思う。
ナンとなくそんなことを思いながら、もう一口、酒を流し込む。(つづく)