ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.70

箸休め

「カギッコ ガスオーブン パラダイス」

 小学生の私は、ご多分にもれず空腹であった。おそらく、私に限ったことではないと思う。育ち盛り、食べ盛りは、いつだって空腹なのである。

 だから、食べるモノがないときは、つくる。とにかく、食べるモノをつくるのである。

 ところが、この「つくる」、思いの外、楽しい。楽しいから、しょっちゅう、つくる。つくりまくる。

 幸い、おそらく、お中元かナニかなのだろうけれど、バターと砂糖は、結構あったりしたので、あとは小麦粉などの粉系さえあれば、たいていはナンとかなる。この三種の神器ならぬ三種の神食材で、学校から帰ってきた空腹の私は、あれこれ考えに考えて、スイーツ(モドキ)をつくるのである。

 放課後。

 そう、放課後。

 鍵っ子の私にとって、とにかく放課後は長かった。誰もいない我が家で、さ、今日の復習でもするかな、などとは、まず、ならない。それゆえ、さらに時間はタップリ感を増す。そんなタップリ感な時間、に、悲しいほどの空腹感。ソコで、少年は、たとえば、ガスオーブンのような本格的な調理器具に、挑戦してみたくなってくるわけだ。

 このガスオーブン、まさに「マジカルツール」で、本気の焼きリンゴやらカップケーキやら、を、見事に誕生させてくれたのである。

 しかしながら、当時のガスオーブンは、なかなか火の扱いが難しく、焼きリンゴやらカップケーキやら、どころか、家まで丸ごと焼いてしまう可能性が高い。そうならなくてホントに良かった、と、今でも思い出しては安堵する。それぐらいあの頃の幼き私は、今以上にいい加減で適当、で、あったのだ。

 よくもま~、当時のそんな私を信じてくれていたものだと、両親にはココロから感謝している。

 しかし、なぜ、信じてくれていたのだろう。

 「美味しいね、これ」、「上手だね、これ」、などと、誉められたことはあったけれど、「ガスオーブンなんか使って、火事になったらどうするの」、「危ないからやめなさい!」、みたいな、そんな、私の魅惑のクッキングライフを全否定するような恐ろしいコトバを浴びせかけられた、というようなことは、一切なかったのである。

 信じてもらえた私がエライ!、などというコトは全くなくて、ドコからドウ考えても、信じてくれた両親がエライ!、というコトなのだろうな~、と、私は、すこぶる謙虚に思っている。

 私の、そんな、小学生の頃のガスオーブンとスイーツ(モドキ)の話なんて、まずAくんは、(聞いているフリをすることはあったとしても)全くもって聞いてはいないに違いない、と、思っていたら、その時、ボソボソボソッと二言三言、四言、返してくれたのだ。

 「信じる、信じられる、信じてもらえる。コレらたち、って、この世の中において、こんな世の中だからこそ、とても大切なコトのような気がする。できそうでいて、なかなかできることじゃないから」

 あのときのAくんの言葉のように、たしかに、あまりにもそこかしこでトンでもなく怪しいコトが起こりまくっていたりするものだから、時代は、「信じる」というコトからも、ドンドンと遠ざかっていこうとしているのかもしれない。

 あの懐かしのガスオーブンを思い出しながら、ソンなコンなのアレやらコレやらを、ボンヤリと考えてみたりしてしまう、私なのである。(つづく)