箸休め
「カギッコ ガスオーブン パラダイス」
小学生の私は、ご多分にもれず空腹であった。おそらく、私に限ったことではないと思う。育ち盛り、食べ盛りは、いつだって空腹なのである。
食べるモノがないときは、トにもカクにも、つくる。この「つくる」、コレがなかなか楽しい。楽しいから、しょっちゅう、つくる。
幸い、小麦粉などの粉系とか砂糖とかバターとか、といったモノ(おそらく、お中元かナニかでの頂き物だな)は、結構、あったりしたので、学校から帰ってきた空腹の私は、あれこれ考えて、スイーツ(モドキ)をつくる。
鍵っ子の私にとって、とにかく放課後は長かった。誰もいない我が家で、当然のごとく勉強などするわけもなく、するわけもないから、さらに時間はタップリ感を増す。それゆえ、たとえば、ガスオーブンのような本格的な調理器具にも挑戦してみたくなってくる。
このガスオーブン、まさに「マジカルツール」で、本気の焼きリンゴやらカップケーキやら、を、見事に誕生させてくれたのである。
しかしながら、当時のガスオーブンは、なかなか火の扱いが難しく、焼きリンゴやらカップケーキやら、どころか、家まで丸ごと焼いてしまう可能性が高い。そうならなくてホントに良かった、と、今でも思い出しては安堵する。それぐらいあの頃の私は、今以上にいい加減で適当、で、あったのだ。
よくもま~、当時のそんな私を信じてくれていたものだと、両親にはココロから感謝している。
しかし、なぜ、信じてくれていたのだろう。
「美味しいね、これ」、「上手だね、これ」、などと、誉められたことはあったけれど、「危ないからやめなさい!」、といった、私の魅惑のクッキングライフを全否定するような、そんな恐ろしいコトバを浴びせかけられた、というようなことは、一切なかったのである。
信じられた私がエライ!、などというコトは全くなくて、ドコからドウ考えても信じてくれた両親がエライ!、というコトなのだろうな~、と、私は、すこぶる謙虚に思っている。
私の、そんな、小学生の頃のガスオーブンとスイーツ(モドキ)の話なんて、まずAくんは(聞いているフリをすることはあったとしても)全く聞いてはいないに違いない、と、思っていたら、ボソボソボソッと二言三言、四言、返してくれたことがある。
「信じる、信じてもらえる。コレも、大切なコトのような気がする。できそうでいて、なかなかできることじゃないから」
あのときのAくんの言葉のように、たしかに、あまりにもそこかしこでトンでもなく怪しいコトが起こりまくったりするものだから、時代は、「信じる」というコトからも、ドンドンと遠ざかっていこうとしているのかもしれない。
あの懐かしのガスオーブンを思い出しながら、ソンなコンなアレやらコレやらをボンヤリと考えてみたりしてしまう、私なのである。(つづく)