ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.69

食事(ご飯) その壱

「カリニ ショウスウハ ガ タダシカッタトキ コノヨノナカ ハ ドウスレバ イイノダロウ」

 民主主義も万能ではない。「民」も、見誤ることもあれば、勘違いすることも、魔が差すことも。

 仮に、万が一、圧倒的に少数派の意見が、実は正しかったというとき、そのことが不運にも、かなり後になってわかったというとき、いったい我々はどうすればいいのだろう、と、Aくんは憂う。そのときは、我々が犯した「罪」として真摯に受け止め、次の一手を真剣に考える、しかない、ということなのだろうか。

 しかし、取り返しがつかない場合もある。心底ダイジなものが、すでに消えて無くなってしまっていることだってあるはずだ。次の一手など、もうドコにも見当たらない。そんなとき、我々はどうすればいいのだろう。

 Aくんが、たしか、こんなことを宣っていた。

 「取り返しがつかないほどダイジなモノが、消えて無くなってしまった、ということそのものに全く気付かない、気付けない、という、そんな人間の育成に、尽力してきたのかもしれないぜ、この国は」

 気付かない、気付けない?

 ま、まさか~、さすがにソレはないだろ、と、思いはするけれど、仮に万が一にもそうだとしたら、まるで近未来SF映画みたいで空恐ろしくなってくる。

 「美味しい、美味しいから食べる」、「面白い、面白いからやってみる」、「便利、便利だから利用する」、「儲かる、儲かるから・・・」、みたいな、そんなコトをボンヤリとバカみたいに繰り返していたら、たしかにAくんの指摘通り、たとえば仮に、その裏側の深い闇の中でトンでもない副作用がニヤリとほくそ笑んでいたとしても、気付けないかもしれないな。(つづく)