食事(ご飯) その壱
「カリニ ショウスウハ ガ タダシカッタ トイウトキ ドウスレバ イイノダロウ」
民主主義も万能ではない。「民(タミ)」も、見誤ることもあれば、勘違いすることも、魔が差すことも。
仮に、万が一、圧倒的に少数派の、その意見が、実は、正しかった、という時、そのコトが不運にも、かなり後(アト)になってわかったという時、いったい、我々は、どうすればいいのだろう。と、Aくんは憂う。その時は、私たちが犯した「大罪」として真摯に受け止め、そして、起死回生の次なる一手を考えるしかない、のか。
しかし、取り返しがつかない場合もある。心底ダイジなものが、すでに消えて無くなってしまっているコトだってあるはずだ。起死回生の次なる一手など、もう、すでに、ドコにも見当たらない、ような、そんな状況に陥ってしまっているとしたら、その時、私たちは、いったい、どうすればいいのだろう。
Aくんが、たしか、こんなコトを宣っていた。
「取り返しがつかないほどダイジなモノが、消えて無くなってしまった、ということに全く気付かない、気付けない、ひょっとしたら、気付きたくもない、ような、そんな国民の育成に、この国のおエライ人たちは、尽力してきたのかもしれない」
気付かない、気付けない、気付きたくもない?
その時は、さすがにソレはないだろ、と、思った。の、だけれど、仮に万が一にもそうだとしたら、あたかも近未来SFスリラー映画かナニかみたいで、一気に、捨て置けないほどの恐ろしさを帯びてくる。
美味しい、美味しいから食べる。
面白い、面白いからやってみる。
便利、便利だから利用する。
儲かる、儲かるから・・・。
みたいな、そんなコトを、ボンヤリとバカみたいに繰り返していたら、たしかにAくんの指摘通り、たとえば仮に、そうしたコトのその裏側にある深い漆黒の闇の中で、トンでもない副作用がニヤリとほくそ笑んでいたとしても、気付けないかもしれないな。(つづく)