ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1068

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と九十九

「ナンダカ ヘンダナ」

 その視点に、その価値観に、そのモノの考え方に、そして、追求していこうとするその姿勢に、私が、深く興味を抱いている方々がいる。当然のごとく、そうした方々は、皆、私ごときがどう頑張っても足掻(アガ)いても、到底、追い付けそうにないほどのオリジナルなマンパワーに満ち満ちている。そんなブラボ~な方々の中の一人である、ある大学の先生のナニ気ないのだけれどキラリと光る、一言、ソレがコレ。

 

 ナンだかヘンだな。

 

 彼は、そうした、「ナンだかヘンだな」と思う、思える、その直感こそが尊いのだ、と、宣う。

 そう、ナンだかヘンだな、なのである。

 とはいえ、私たちのような一般ピーポーには、仮にそう思えたとしても、どうしても、ソコからの次の一手が打てない。

 つまり、ナンだかヘンだなとは思えるのだけれど、ソレは確信めいてもいるのだけれど、その「ヘン」がナンなのか、が、悲しいかな、皆目、見当も付かない。だから、それゆえ、たいていの場合、「ま、イイか~」というコトになる、というわけだ。

 その先生も、コトあるごとに、その悲劇を指摘する。

 

 実に勿体ない。

 

 彼は、せっかく感じた、感じれた、思った、思えれた、その「ナンだかヘンだな」なのだから、「ま、イイか~」などと捨て置いてしまうのは、実に勿体ない、と、宣う。どうせ無理と最初から諦めてしまうのではなく、ココは、手間隙かけてその「ヘン」を、ジックリと追求してみてはどうだろう、と、提案する。

 そう、実に勿体ない、のである。

 もちろん、そう易々と出来るコトではないだろうけれど、その追求が、その学びが、あってこそ、ようやく、捨て置けない真実が、不都合な真実が、見えてくるような気は、たしかに、する。

 やはり、学び、学びは大切。

 だからこその、学校。学べてこその、学校。

 そう、そうなのである。言い換えるならば、その、「不都合な真実」を見抜くための学びを放棄したような、ソコから逃げまくっているような、そんな学校は、もはや学校ではない。と、さえ、グングンと思えてくる。(つづく)