はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十二
「ユガンダ ブナンシュギ」
いかなる組織のどんな会議も、その組織のために、更には、この国の、この星の、そして、もちろん、ソレら全てのピーポーたちの、ピーポーたちの未来の、そう、ピーポーたち一人ひとりの未来の、ために、深く深く自由闊達に発言、議論、し合えてこそ、会議。さすがに少し大袈裟かもしれないけれど、小さな組織の会議が、たとえばこの星全体に、この星に住むピーポーたち一人ひとりに、影響を及ぼすなんて絶対にない、と、言い切ることなど、誰にもできないはずだ。にもかかわらず、いくら首根っこを掴まれているからとはいえ、職員会議を単なるトップダウンの「伝達の場」などと宣ってしまえる学校という組織の未来は、関係者諸氏には申し訳ないが、目一杯、暗い、と、言わざるを得ない。
「仮に、学校現場の実情やら教育的意味合いやら指導面やら安全面やらを考えれば、その選択肢は、ない。というような場合でも、上からのお達しだからという理由だけで選択してしまうようなコトがあるとするなら」
「終わってるだろ、完全に、学校として」
「学校として終わっている、とまでは、私には言えませんが、でも、まだ未成年である子どもたちであるだけに、その罪は、より重く深いように思えます」
「だけど、だけどだ。どうしても突き進んでしまうわけよ、イエスマンの道をね」
イエスマンの道を突き進む、か~。
ん~、ナゼだろう。
いつもの、あの、無難主義というヤツのせいだろうか。
「無難主義、無難主義ですね、きっと」
ソレほど自信はなかったが、思い切って断定的に言い切ってみる。
「無難主義?、無難主義、ね~」
違ったか。
「・・・かも、しれないな。」
ほっ。
「しかも、歪んだ無難主義」
「歪んだ無難主義、ですか」
「そう。だって、無難じゃねえかもしれない選択なわけだろ。普通、無難に、と、思うなら、指導面やら安全面やらに問題がありそうなモノは、まず、選ばない」
たしかに、おっしゃる通りだ。
いくらお上からのお達しでも、無難ではなさそうな選択を、無難主義なら、普通、しない。
「おそらく、いつのまにか思考停止に陥ってしまっているんだろう。で、ナニかトンでもないコトが起こってしまった時には、とりあえず神妙な面持ちで、『上から言われたので仕方なく』などと言い訳をするに違いない。だけどだ。そんな姑息な言い訳、言い逃れ、絶対に通用しねえから」
しない、絶対に、しない。
と、いうか、万が一にもソンなモノが通用してしまうような世の中じゃ、ダメだ。(つづく)