ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1229

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と六十

「タヨウセイ ト ガッコウノセンセイ ト」

 幼い頃、思っていたわけよ。と、ナニやらブツブツ呟きながら、Aくんが、奥から、ようやく戻ってきた。

 片手にお盆。もう一方の手には、日本酒らしき780mlの瓶。

 そして、テーブルにトンと置かれたお盆には、コンニャク(だと思う)の三種盛り。

 「犯罪者がいなかったら警察はいらない。だから犯罪者がいるんだ。とか、病気がなかったら医者はいらない。だから、病気があるんだ。とか、生徒たちにナニかを教えるための学校がなかったら、どころか、そもそも生徒がいなかったら先生はいらない。だから、生徒はいるし、学校もあるんだ。つまり、そんな先生たちの生活の糧(カテ)のために、生徒も先生も行きたくなんかない学校はあるんだ。と、かなりマジで思ったりしていたんだよな」

 生徒も先生も行きたくない、学校、か~。

 「実際、僕の母親は小学校の先生で、父親よりもほんの少し給料も良くて、おかげさまで、メチャクチャお金に苦労する、なんてことは、なかったわけで」

 それにしても、Aくん、屈折した幼少期であったのだな、と、あらためて。まず、子どもは、そんなコトを考えたりはしない。

 「必要とされるから仕事になる。仕事になるから飯が食える。言い換えれば、必要とされないものは仕事にならない。と、今でも思っている」

 必要とされないものは、仕事にならない、か~。

 「ありとあらゆる様々なニーズが、多種多様な仕事を生む。ココが、極めて重要なポイントなわけよ」

 ん~。

 「ソレって、結局、ニーズも仕事も、そのベースに多様性があってこそ、と、いうことですか」

 思い切って、そう、宣ってみる。

 「そう、そういうことだ。だから、多様性が苦手な国民性ゆえ、その多様性を求めて、海を渡って、グローバルに打って出たくなる」

 多様性が苦手な、国民性ゆえ、か~。

 「たしかに、多様性とはほど遠いこの国の中だけでは、どうしても、煮詰まってしまいそうですよね」

 「煮詰まるよな~。この国が、この国のピーポーたちが、必要とするモノだけでは、ナニも、広がってはいかないということだ」

 コレもまた、島国ピーポーの宿命なのだろうか。

 「ココにきて、ようやく、若者たちの中に多様な価値観が、多様性が、という動きが見受けられるようになってきた、かな。だけど、まだまだ、残念ながら、普通やら常識やら固定概念やらに手足を縛られている感、歪めない」

 普通が、常識が、固定概念が、若者たちの手足を縛る、か~。

 Aくんのその論法で語らせてもらえば、普通を、常識を、固定概念を、ぶち壊した、ところから生まれる価値観の多様性があるから、より幅広い多様な仕事が、職業が、必要とされ、創出される。と、いうことになるのだろう。そして、そんな様々な職業があるから、こそ、一人ひとりの、その人なりの個性が、能力が、心置きなく自由奔放に発揮できる。コレ、とても大事なコトだと、私も思う。

 「で、思うわけよ。まず、学校の先生が、というか、せめて学校の先生ぐらいは、多様性のメッセンジャーでなきゃ~、ってね」

 多様性の、メッセンジャー、か~。

 「そうでないと、これからも、悪い意味での『オーソドックス』な、閉塞感まみれの価値観にドップリと浸かった(漬かった)大人たち、の、そのミニ版みたいなカッチンコッチンの子どもたちばかりが、相も変わらず、と、いうことになってしまうだろ」

 おっしゃる通り。

 やっぱり、子どもたちは、開放的で、自由奔放で、いい意味でユルユルでないと、と、期待を込めて、心底、思う。

 どうにかこうにか納得することができた、そのご褒美に、と、いうわけでもないけれど、先ほどから興味津々であった、透明感バツグンの淡い色合いのコンニャクの刺身を、一切れ、ほんの少しだけ酢味噌をつけて、いただく。

 うわっ。

 見ためだけでなく、その味わいまで、透明感。もちろん、味気ない、という意味ではない。フワッと、品良く存在感を主張する蒟蒻芋の香りが立ち上る。

 慌てて、小振りの素焼きのお猪口に注がれたその日本酒、らしき、モノを、グビリと。

 うわわっ。

 このマリアージュ、コレ、マジで美味いわ。

 「バカな大将、敵より怖い」丸出しの、この国挙げてのオキテ破りの暴挙のそのあまりの暴挙さに反吐が出そうであっただけに、身にも心にも沁みる。(つづく)