はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と七
「カガク デハナク クウキ デ キマッタ」
「科学ではなく空気で決まった」
ん?
「ある大学の、疫学系の先生の言葉だ。結局、空気なんだよな~、わかるかい、その感じ」
んん?
「だから、論理的な、科学的な、具体的な説明が、ほとんどなされない」
んんん?
「極めて重要な、方針の、政策の、転換期であるにもかかわらずだ」
あっ、あ~、あのコトか、あのコトだな。
「専門家っぽい人が、『他国では、ほぼそのようになっているので』と、自慢げに宣ったりする」
間違いない、あのコトだ。
「都合のいいコトは、『他国では、そうなっている、そうなってきている』と受け入れ、都合の悪いコトは、『他国は他国、この国にはこの国の独自の文化、価値観、考え方がある』と拒絶する。ホント、よく言うよ、って、感じだよな~」
「ソレって、今宵、何度も登場する『御用学者』と、権力者たちとの関係性とよく似ていますよね」
「似てる似てる。御用学者たちは、古今東西いつだって、権力者の顔色を窺(ウカガ)いながら『科学ではなく空気で』的な発言を、しまくり倒してきたわけだからな」
「空気で」的な発言を、しまくり倒してきた、か~。
ナニかに怯(オビ)えているがゆえの、いわゆる、忖度(ソンタク)、ってヤツのことを、Aくんは言っているのだろう。そして、そうすることで、御用学者たちは、この国で、学者であり続けてこれたのかもしれない。
「権力者たちに気に入られないと、研究費とかもカットされてしまいそうですよね」
「されるされる。学術会議への政治介入なんかが、まさに、その、いい例だ。全然、いい例じゃ、ないけど」
国民から巻き上げた血税を、己のカネ(金)とでも思っているのだろう。だから、気に入らないトコロへはカネを出さない。もちろん、ソレは、トンでもない勘違いで、あの人たちごときの好き嫌いとか、良い悪いとか、と、いった、そんな基準によるジャッジに、正当性があるはずがないのである。
「けっして科学は万能ではないし、悪魔の手先になることも度々あったりするのだけれど、でも、たとえば、一般ピーポーへの説明のためのツールとしては、科学は、とても有効なモノの一つだと、僕は、思っている」
(つづく)