ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.974

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五

「ウメラレソウニナイホド フカイ ミゾ」②

 「その女性は、こう語る」

 ん?

 「平等とは、お金を払いたくても払えない家庭に、合わせること、だと」

 ん~。

 「生まれた瞬間から家庭環境は異なる。まずは公助があるべき、だと」

 ん、ん~。

 「さらに、24時間365日、誰もが気軽に立ち寄れる場所をつくる。そこに補助金を出すのが行政の役割ではないか、と」

 ん、ん、ん~・・・。

 おそらく、その女性が大事にしているモノと、行政が、周囲の人々が、大事にしているモノとでは、ナニかが大きく違っているのだろう。そんな気がしてならない。そして、その違いは、埋められそうにないほど深い溝(ミゾ)によって容赦なく分断されてしまったことによって、そう簡単にはお互いに、理解し合えそうにないように思える。

 「やはり、あの時の、あの『勝ち組負け組』発言が、余程気に入ったのか、そのまま人々の心の中に根付いてしまったのかもしれないな。それゆえ、『お金を払って学童に通う家庭と、無償の子どもの家に通う家庭が存在するのは不平等』みたいな、そんなものの考え方に、アッサリと市民権を与えてしまったのだろう」

 ふ~。

 負け組に、弱者に、追い詰められた人々に、ナゼ、ソコまで手厚くしなければならないのか。とでも言いたいのだろうか。

 そういえば、巨額の血税を投じて執り行われていた某国葬のその同刻に、その会場から140kmほどしか離れていない、その大雨によって被災した地で、住人たちが水を求めて列を。なんと一週間近くも断水が続いていたのである。

 真逆のテイストを漂わすこの二つの映像。が、ほとんど同刻に茶の間に流れる。

 そんな、そんな二つの映像の、その間に、埋められそうにないほどの深い溝を感じていたのは、果たして、私だけだろうか。(つづく)