はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百
「ショウシャノ ショウシャニヨル ショウシャノタメノ」
「古(イニシエ)より近代に至るまでにおいて、ひょっとしたら現代においても、マコトしやかに語られていることのそのほとんどは、勝者の勝者による勝者のための真実もどきなんじゃないか、って、思ったりするわけよ」、とAくん。
「勝者の、勝者による、勝者のための、真実もどき、ですか」
「そう。言い換えるなら、つまり、敗者には、真実を歴史の中に残す権利すら与えられていない、ということだ」
敗者には、その権利がない、か~。
なるほど。
弱者、負け組、敗者にとっての真実が、強者、勝ち組、権力を握る勝者によって、葬り去られたり、捻(ネ)じ曲げられたり、捏(デッ)ち上げられたりする、ということか。
たしかにその指摘、的を射ているように思えなくもない。
「でも、なぜ、そんなことを、今、突然、思ったりしたのですか」
するとAくん、「コレコレ」と呟きながら、カジュアルなバラエティ歴史書みたいな一冊を取り出してくる。
「コレとコレ」
ん?
「コレとコレってさ~、真相は知らないよ、知らないけれど、明らかに、勝者と敗者との狭間で、露骨なまでに真実が捏じ曲げられたのでは、って、勘ぐりたくなってこないかい」
これ、と、これ、と、見せられた2枚の絵は、歴史に興味があるとかないとかを軽く飛び越えてしまうぐらい、ほとんどの人が一度は見たことのある有名な2枚の絵であったのである。
「そう。ま、美意識は千差万別、人それぞれ。だから、一概にどうこう言うことはできないのだけれど、でも、それにしても、だ、ナニかが臭ってこないかい、そのお二人さんの描かれ方の違いから」
再度、あらためてジックリと、その2枚の絵を見比べてみる。
そう言われると、たしかに、忖度まみれの捏(ネツ)造の臭いが漂ってはくる、かな。
「それゆえに、今ごろになって、この頼朝、ちょっと怪しいぞ、みたいなことになってきたりするわけ」
「そ、そうなんですか」
「らしい」
「なんと・・・」
「都合の悪い真実は、いつだって、強者によって闇から闇へ、って、ことなのかもな」
コンな肖像画一つとってもソンなことになり得る、ということを説くAくんの、その、「勝者の勝者による勝者のための真実と捏造」理論。もちろん、現代の、この世の中にも当てはまりまくる、ということぐらいは、この私でも容易に察しがつく。(つづく)