ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.243

はしご酒(3軒目) その七十二

「フェイク! フェイク?」②

 ただ。

 私の中には、そうしたフェイクなニュースは、全て、ソレを見る人の、ソレを聞く人の、心次第、御頭(オツム)次第、という思いも、あるにはある。

 そもそも。

 情報などいうものは、たとえば、自分にとって都合の良いモノは、面白がる。信じる。利用する。しかし、自分にとって都合の悪いモノは、フェイクニュースとして黙殺する。もしくは、潰しにかかる。みたいな、そんな宿命を背負わされているように思えて、ならないのである。

 そう、全て、その人の心次第、御頭次第。

 そうして、誰かにとって都合の良いモノが、同じように都合が良いと思うピーポーたちの間をドンドンドンと経由して、どんなに辛い思いをするピーポーがいようとも、どんなに傷つくピーポーがいようとも、タラタラタラと広がっていく。と、同様に、そのもう一方では、本当に大切なトゥルー(true )な、ファクト(fact )な、ニュースが、都合が悪いという理由だけで、見事なまでに寄って集(タカ)って葬り去られていくわけだ。

 たとえば。

 「温暖化など、神経質な悲観論者たちによるフェイクニュースだ」

 とある大国の、シモジモじゃない、おエライ、らしい、ある圧倒的な権力者のこの言葉。は、耳にしたその瞬間から私の耳の奥にベチャッとへばり付いたままだ。

 ドコからドウ考えても。

 フェイク感丸出しのこの言葉。を、私たち一人ひとりが、どう真っ当に咀嚼(ソシャク)するか。咀嚼できるか。その咀嚼力が、今、問われているのだろう。(つづく)