ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1290

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十一

「ヨノナカ キレイゴトダケジャ~ ヤッテイケネエンダヨ」

 「ある落語家さんが、我々一般ピーポーに、妙に自信満々に語り掛ける。『病気になった時、いい医者だけど腕が悪い。悪いコトを裏でやってたけど、いい医者。命がかかっていたら、さ、ドッチに診てもらう?』」

 あ、あ~。

 よく耳にする、典型的な、あの、「世の中、キレイゴトだけじゃ~やっていけねえんだよ」系の、論調だ。

 「そして彼はこう締め括(クク)る。『腕のいい医者に診てもらいたくなるじゃないですか』、ってね」

 ほらきた。

 たしかに、ボンヤリ聞いていると、「おっしゃる通り」と思えなくもない。ナゼなら、人間なんて、所詮、本来、筋なんて通してなんかいられないぐらい、弱く、脆(モロ)く、利己的だからである。

 「もちろん、彼は、近くのお医者さんの話をしているわけではない」

 「おそらく、例のあの人たちのコトを、遠回しに擁護しようとしているのでしょうね」

 「だろうな。100歩譲ってだ。その『悪いコト』次第では大目に見てもいいかな、という気もしなくはないが」

 えっ。

 ナニやら微妙にAくんらしくない方向に。

 「たとえば、たとえばだ。『命』に関わる医者が、裏でその命を軽んじる、奪う、みたいな悪行に、犯罪に、手を染めているとしたら、ソレは、大目になんて見れるわけがない」

 ん、ん~。

 たしかにその通りなのだけれど、その、職種によって大目に見れる悪行、犯罪、が、ある、かのような話の展開に、どうしても、居心地の悪い違和感を感じずにはおれない。

 「ソレと同様に『政治』に関わる政治家が、その裏で、己の立場を思いっ切り利用して政治絡みの悪事を働く。金(カネ)、票、役職、出世、の、ためなら、魂も売る。政治も歪める。と、なると、ソレは、さすがに大目に見るわけにはいかんよな。だけど、『命』やら『政治』やらにダイレクトに関わらないような悪行なら、当然、そのレベルにもよるが、大目に見るという選択肢もあり得るか、という気もしなくはないんだよな」

 ん、ん、ん~。

 やっぱり、引っ掛かる。Aくんらしくない。

 単なる過失ではなく、一切の罪悪感も背徳感も抱くことなく己の意思で悪行に、犯罪に、手を染めてきたのであれば、ソレがどんな悪行で犯罪であったとしても、医者であれ政治家であれ、大目になんて見てはいけないと思う。そんな医者は、政治家は、まず、間違いなく「いい」医者でも政治家でもない。そもそも、そんな医者やら政治家やらを信用などできるはずがない。にもかかわらず、その手の医者やら政治家やらを頼らなければならない、頼らざるを得ない、と、したら、おそらく、いや、きっと、仮に、手術が成功したとしても、甘い汁を吸わせてもらったとしても、コレからズッと、ほぼ永遠に、自責の念に駆られながら生きていかなければならない、コトに、なるに違いない。(つづく)