はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十八
「ジッパヒトカラゲ ノ カテゴライズ」
僕たちは、ナンでもカンでも一括(クク)りにカテゴライズしてしまいがち、なんだよな。そして、同時に、「個」を見ることが苦手、な、わけよ、とAくん。
カテゴライズ?、一括り?、「個」を見ることが、苦手?
「学校での学びなんて、そのほとんどが『カテゴライズ』絡み、ってことだ」
学びのほとんどがカテゴライズ?
「ほら、たとえば、美術一つとってみても、やれバロックだの、ロココだの、印象派だの、キュビズムだの、と、学んだりするだろ」
あ~、そう言われればそうだ。
「大切なのは、むしろ、その一つひとつが、どうなのか、一人ひとりが、その一つひとつをどう感じるか、どう受け止めるか、の、その、クールな『感性』そのもの、の、はずだろ」
おっしゃる通り。
「とにかく、そんな学びの成果として、妙な癖がついてしまったんじゃないか、って、どうしても思ってしまう」
「妙な、癖、ですか」
「そう、妙な癖。ソレが、ナンでもカンでも十把一絡(ジッパヒトカラ)げにしてしまうカテゴライズ癖だ」
十把一絡げにしてしまう、カテゴライズ癖、か~。
「音楽やら美術やらのカテゴライズなら、まだ、ソレはソレで会話をスムーズにするためのツールとして有効だと思うし、便利だし、それほどの罪はないと思う。しかし、その対象が『人』絡みのモノとなってくると、コトは、ちょっと、厄介にも心配にもなってくるというわけだ」
「人」絡みのモノ?
・・・
あ~、なるほど、「人」絡みのモノ、か~。
たしかに、世の中、ナンでもカンでもカテゴライズだな、と、思うことはある。十把一絡げにして、あの国の人はこう、あの人種はこう、年寄りは、若者は、男性は、女性は、ゆとり世代は、ロスジェネ世代は、こうこうこうこうこうこう、と、上から目線で決めつけにかかる。そして、そんな「人」絡みのカテゴライズが、場合によっては、理不尽な差別に、ヘイトに、バッシングに、繋がっていく、と、したら・・・。
考えれば考えるほど、この十把一絡げのカテゴライズ、心底、罪深く思えてくる。(つづく)