ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1216

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と四十七

「ドーン ト イッテクレル」

 つい最近、ある知人が、あるコメンテーターに対して、「彼の良さは、ナニゴトにも臆せずドーンと言ってくれるトコロだよね」、と。

 ドーンと、言ってくれる。

 ドーンと言ってくれる、か~。

 たしかに、その「ドーンと」の、その、歯に衣着せぬ姿勢に気持ち良さも頼もしさもドーンと感じられはする。感じられはするが、ナンだかナニかが妙に引っ掛かる。その知人には申し訳ないが、ナゼかその時、ドウしても、誉めるポイントが大きくズレているように思えてならなかったのである。

 そう、ズレている。

 本来、注目しなければならないのは、その「ドーンと言ってくれる」ではなく、「ナニを」なのではないか。つまり、ドーンとであろうが、遠慮気味にであろうが、蚊の鳴くような声でであろうが、なかろうが、そんなコトは重要でもナンでもなく、語ろうとしている、語っている、その「ナニ」が本当に真っ当な「ナニ」なのか、というコトこそが重要であるはずだ。

 にもかかわらず、このところ、この手の「ドーン系」のコメンテーターたちが、ヤタラと目立つ。目立って仕方がない。

 ナゼなのだろう。

 おそらく、そのコメントを不愉快に思う「敵」は多いかもしれないものの「味方」たちへのインパクトは絶大、ゆえ、視聴率的には、もう、ソレで充分、ウハウハだ、みたいな、そんな感じなのではないだろうか。

 つまり、言い換えるとするなら、ドーン系は、「分断系」だということだ。

 そう、分断系。視聴者たちを、ピーポーたちを、見事なまでに分断する。

 味方にだけ、に、味方が気持ち良くなることだけ、に、特化した、コメントの数々をドーンドーンドーンと言いまくる、言いまくってくれる。もちろん、その中身が真っ当でアルとかナイとかなどということは、この際、どうでもいい。

 そして、さらに、この手の「ドーンと分断系」は、ことのほか己のコトを棚に上げまくる、すこぶる、すこぶる他者に厳しい「我田引水系」でもあるものだから、実に、実に厄介なのである。

 そう、我田引水、系。

 臆せず、歯に衣着せず、「ナゼ、批判ばかりするのか。偏り過ぎではないのか。賛否両論あるコトについては公平に発言すべきではないのか」、などと、信じられないぐらい、堂々と、胸を張って、ドーンと。

(つづく)