ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1186

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と十七

「オノレガ タダシイナラ イノチガケデ ソノタダシサヲ ウッタエルベキ」

 「社会的、経済的、弱者は、おそらく、そんなコトはできない。でも、できないからといって自暴自棄になる必要など、微塵もない。余計なコトでエネルギーをムダに消費することほど愚かなコトはない。だって、できないから弱者なのだ。そんな弱者に、あの人たちは、いったい、ナニを求めようと、強(シ)いろうと、しているのだろうか。と、いうようなコトが、結構、そこかしこであったりするんだよな~」、とAくん。

 彼が、熱く語り始めたその話のその主旨の、せいぜい半分ぐらいしか掴(ツカ)み取ることはできないが、ドコまでも、弱者のコトなどお構いなしに、強者は強者の論理で突き進もうとするのだ。と、いうことだけは、痛いほど伝わってくる。

 そう、よほどの心ある賢者でない限り、強者は、ドコまでも、ドコまでも傲慢でエラそうな強者のままなのである。

 「ちなみに、よく、巷で耳にする、ワード。が、コレ。『己が正しいのなら、命懸けで、その正しさを訴えるべき』」

 それ、正論。

 その通り、逃げてはいけない。己の正しさに絶対の自信があるのなら、ソコから逃げるべきではない。

 でも、たいていは、とりあえず逃げたくなる。だって、この国のピーポーたちは、忘れっぽいから。時間が経てば、ほぼ、「そんなコト、ありましたかな~」ということになる。だから、どうしても、ジッと黙って、やり過ごしがちだ。もちろん、好ましいコトではない。

 「ただし、このワード、圧倒的強者に対してのみに許されるワードであることを、けっして忘れてはいけない」

 ん?

 「まかり間違っても、圧倒的弱者に、被害者に、対して、『己が正しいのなら、命懸けで、その正しさを訴えるべき』などと軽々しくホザくべきではない」

 ん~、それ、も、正論。

 その通り、ホザくべきではない。

 もう、そろそろ、いい加減、「加害者と被害者は対等ではない。被害者は、場合によっては恐るべきセカンドレイプのターゲットにさえなってしまう、そんな憂き目にさえ遭ってしまう、のだ」というコトぐらい、わかってもよさそうなものなのに、テレビ画面のその奥で、持論を展開されておられる(ように見えても、実は、本人の意見なのではなく、局主導の既成のレールに乗っかったモノに過ぎないのかもしれないけれど)、一部の似非(エセ)コメンテーターたちには、その理解、かなり難しいようだ。

 「そういえば、ドコかの放送局のトップが、『番組内で、圧倒的強者の加害者と圧倒的弱者の被害者との公開バトルを』みたいなコトを宣っていたようだが、あのトップ、その被害者が自分の娘さんであったとしても、『視聴率のためなら被害者でも娘でも使えるモノはナンでも使うぜ~』と、そんなバカげた戯(タワ)けたコトを、悪びれる様子もなく平然と、ホザいてみせることができたのだろうか」

 ん~。

 まさか、いくらなんでもソコまで魂が腐り切ってしまっているとは思いたくないが、少なくとも、被害者に、弱者に、寄り添おうという気持ちは、ゴソッと、見事なまでに抜け落ちてしまっているように、見える。

 「悲しいかな、この国のメディアのトップなんてものは、所詮、その程度だということだ」

(つづく)