ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1187

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と十八

「オワライ! オンワライ?」

 笑えることの幸福感について、以前、Aくんと、語り合ったことがある。

 いわゆる「お笑い」なるモノは、世の中が、幸せだから、平和だから、存在し得るのか。それとも、「お笑い」なるモノが、世の中を、幸せに、平和に、するのか。結局、その時は、ドッチが先か後かではなくて、笑えるコトと幸せと平和とはワンセット。切っても切れない濃厚な間柄にある、と、二人して、無理やり結論付けたことを今でもリアルに覚えている。

 「お笑いは、御(オン)、笑い。わざわざ『笑い』の前に『御(オ)』を付けた『お笑い』であるだけに、単なる『笑い』ではない大いなる意味がある、と、思っているのですが」、と私。

 「御(オ)、笑い、からの、御(オン)笑い、ね~。あくまでも僕の勝手な推測で、ちょっと考えすぎなのかもしれないけれど、たしかに、神さまへの捧げモノ、奉納、という、イメージ、ありありだよな。神さまが機嫌を損ねたらタイヘンなコトになるものだから、質のいい『笑い』を奉納する。みたいな」、とAくん。

 「そして、その御零(オコボ)れを私たち一般ピーポーが頂戴する、と」

 「そんな感じで、お笑いが、僕たちの世界に、生活の中に、浸透していったのかも」

 質のいい、笑い、か~。

 その「質のいい」が、妙に引っ掛かる。

 「質のいい笑い、って、ナンですか」

 「質のいい、笑い?」

 「神さまたちが喜んでくれる、怒りをしまい込んでくれる、ような、そんな質のいい笑い、って、どんな笑いなのでしょう」

 「少なくとも、今、流行りの『冷笑』ではないよな」

 違う。

 「『嘲笑』でもない」

 絶対に、違う。

 「ほら、落語に登場する、ドジで、オッチョコチョイで、ちょいとおバカな八っつぁんも熊さんも、なぜか憎めない。だから、誰も彼らを冷笑も嘲笑もしない」

 「そういえば、狂言の太郎冠者も次郎冠者も、結構、悪いコトもするのですが、その「おかしみ」から、妙に可愛く思えたりする。ですから、彼らを、誰も、冷笑も嘲笑もしません」

 「それゆえ、ソコに、ホッコリとした笑いが生まれる。おそらく、こういった笑いが、質のいい笑いなのかもな」

 ホッコリとした笑い、か~。

 一見、ホッコリとは真逆に見える、不正まみれの圧倒的な権力者たちを思いっ切りコケにしてみせるスタンダップコメディーも、その痛快さゆえ、シモジモである一般ピーポーたちにとっては、ある意味、『ホッコリ』系と言えなくもない。

 トにもカクにも、この、単なる「笑い」ではない「御(オン)笑い」。どんな手を使っても、どれだけ人を、弱者を、バカにしても傷付けても、笑いさえ取れればソレでいい、などというモノではない。と、いうことだけは、間違いなさそうだ。(つづく)