ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1148

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と七十九

「カワリモノガ アタラシイモノヲ ウミダシ ズルガシコイヤツガ ソレラヲ アクヨウスル」

 御頭(オツム)も心(ハート)もカッチンコッチンなヤツらには、まず、理解などできないであろう愛しき「変わり者」たち。そう、そんな光輝く天才たちによって、常識とか固定概念とかで凝り固まったピーポーたちには、到底、考えも付かないような新しいモノが生み出されてきた、とAくん。そして、トンでもなくズル賢いヤツらが、ソレらを悪用してきたわけだ、と、毒づきつつ、ついでに、さらに、そうしたズル賢いヤツらに限って、権力やら金(カネ)やらに目がない、と、ダメを押す。

 愛しき変わり者たちが、新しいモノを生み出し、ズル賢いヤツらがソレらを悪用する、か~。

 「普通」を装ったズル賢いヤツらの方が、「普通」であるコトに拘(コダワ)らない変わり者たちより、ウンと、ウンと、ウンと厄介だし、罪深いと思うが。

 「なんとなく、とにかく普通であるコトが、とりあえず善。みたいなトコロ、ありますよね」

 「普通であるコトを善としなければ、普通のピーポーたちが住み辛い社会になる、とでも、思っているのだろう」

 ん、ん~。

 圧倒的に少数派である弱者たちに対する心ないバッシングが一向になくならないのも、ひょっとすると、そのあたりのせいなのかもしれないな。

 そもそも、普通って、ナニ?

 そもそも、善、って、ナニ?

 そんな、Aくんの熱き「愛しき変わり者とズル賢いヤツら」論を聞いているうちに、再び、あの、シモジモじゃないエライ人たちが宣うところの「個性を伸ばす」とか「国際感覚を育む」とかといったモノが、いかに的外れで不毛か、という思いが、グツグツとブリ返してくる。

 あの人が宣う「個性」とか「国際感覚」とは、いったい、ナンなのだろう。

 「僕が、まだ高校生ぐらいだったか。ある、大きな政治的チカラをもつ権力者が、声高に、『この国は単一民族国家だから』みたいなコトを宣っていたわけ。おそらく、彼は、だからこそ、皆、同じ価値観で、同じ考えで、同じ方向を向いて、この国の美しき、正しき、一本の普通の道を進んでいこう、と、言いたかったのだろうな」

 な、なんという、反吐(ヘド)が出そうになるほどのカッチンコッチンさなのだろう。

 「そして、今もなお、そんな考えのままのシモジモじゃないエライ人たちがイヤというほどいるからこそ、差別は、一向に消えてなくなる気配もなく、それゆえ、相互理解も、全くもって深まらないというわけだ」 

 ん、ん、ん~。

 あらためて、普通を装った、欲深く、ズル賢い、そんなあの人たちのその罪の、トンでもない深さを目一杯感じる。

 某国民営放送局の朝の連続テレビドラマでの、あの、おばあちゃんのあの言葉が、またまたフッと頭に蘇る。

 「変わりもんは変わりもんで、堂々と生きたらよか~」

 そう、そうなのである。 

 今までがそうであったように、おそらく、コレからも、そうした愛しき変わり者たちが、心ない悪しき荒波にめげることも屈することもなく、この、多難な星の未来を切り開いていく、に、違いない。

 心から、そう思う。

(つづく)