はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と十三
「ホ~ホ~ホ~ホ~ホ~」
コトあるごとに権力者やらインフルエンサーやらが「ホ~ホ~ホ~ホ~ホ~」と、求愛の歌を囀(サエズ)るウグイスかのように宣い出したら要注意。と、Aくん。申し訳ないが、ちょっと、意味がわからない。
「そもそも『法』なんて、権力者がつくったモノだろ」
ん?
「そんな権力者主導の『法』を、とにかく守ってさえいれば全てオーケー。もしくは、違反さえしていなければナニをしたって問題なし。などと、ヤタラと宣うホ~ホ~系のピーポーたち。コレが、とにかく厄介なわけよ」
あ~、なるほど、法、か~。
しかし、そんな法であったとしても、法があってこそ国が成り立つ、もまた、真なり。
おそらく、むしろ問題は、法を隠れ蓑にして、法を後ろ楯にして、法を武器にして、その、己の歪んだ野望を成し遂げようとする側にある、と、考える方が正しいのかもしれない。
「権力者がつくったそんな法を、ただ守ってさえいればナンでもカンでもオーケー、というのでは、あまりにも稚拙(チセツ)。法が絶対正義、絶対真理などと思っていたら、場合によってはトンでもないコトにさえなりかねない」
おっしゃる通り。
世界に目を向けても、たとえば、ナニがナンでもあるトンでもない行動に出ようとする時、たいてい、まず権力者は法を制定する。そして、合法的というお墨付きを得て堂々と行動を起こすのだ。
この国においても、よく、「法治国家なんだから、まず、法をつくることが大切」などという言葉を耳にする。しかし、その法が、本当に弱者たちに、困っている人たちに、向いているのか。それとも、悪事に荷担する使命を帯びているにすぎないのか。ソコを見極めなければ、本当にタイヘンなコトになりそうだ。しかしながら、ナカナカどうして、俄(ニワカ)にソレを見極めることは、想像以上に難しそうなのである。(つづく)