ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1089

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と二十

「キタイ ト リヨウ ト」

 一見、普通に仲が良いようにしか見えないAとB。AはBに期待し、BはAを利用しようとする。

 この期待と利用。似ているようでいて、ナンとなく違う。ナニがドウ違うのか。ひょっとしたら、ソコからナニかが見えてくる、かもしれない。

 「人が人に期待する、と、人が人を利用する、とでは、ナニが、ドウ、違うと思いますか」、と私。

 するとAくん、「う~ん」と唸りつつ、しばし、考え込んでしまう。それゆえ、少しニュアンスを換えて、再度、問うてみる。

 「私は君に期待しているんだよ。と、私は君を利用したいんだよ。とでは、印象が、かなり違ってくるように思うのですが。その印象の違いはドコからくるものなのでしょうか」

 するとAくん、もう一度「う~ん」と唸りつつ、ボソリと。

 「生徒に、『君を利用したいんだよ』なんて、言えんよな~」

 たしかに、そんなコトは絶対に言えない。

 「君に期待する、って、あくまで、君自身の可能性のコトであって、そんな君の可能性に、陰ながら応援しているよ、という意味での期待だろ。違うかい」

 ん~、違わない。

 「一方、君を利用したい、は、僕のため。僕のための君。だから、その場合の『期待』は、先ほどの『期待』とは別モノで、利用できる君への、実に都合のいい身勝手な期待、以外のナニモノでもないというわけだ」

 ん~、都合のいい、身勝手な期待、か~。

 「あらためて考えてみると、そういう主従関係みたいな関係性って、結構、あったりするのかもしれないな」

 ん~、かもしれない。

 「とくに、政治の世界なんかは、『利用したい』まみれ、なんじゃないの」

 ん~、利用したい、まみれ、か~。

 ん~ん~ん~ん~、と、私なりにソレなりに、考えてみたりしているうちに、ナニやら見えてきたコトがある。ソレは、先生でもナンでもないのにナゼか「先生」と呼ばれているあの先生方と学校の先生とは、それ一つとってみただけでも全くもって違う、というコトである。(つづく)