はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と六十八
「クウキヲヨム バカ ヨマナイ バカ」
「バカにもイロイロあるのだろうけれど、そんなバカの中で、この国において、どうしても気になって仕方がないバカが、『空気を読む』系のバカ。このバカが、なかなかどうして、結構、厄介なバカであるわけよ」
く、空気を読む系の、バ、バ、バカ?
わずか15秒ぐらいの間に、Aくん、何回「バカ」と言っただろう。おかげさまで、もう、私の耳の中は、まさにバカまみれ。ではあるのだけれど、たった一度っきりの登場の、「空気を読む」というワードの方が、むしろ、そうしたバカの一個連帯を軽く蹴散らして、その存在感を示したりしているものだから、実に興味深い。
「一時(イットキ)、一世を風靡もした『空気を読む』というワードのその意味が、いま一つ私には理解できていないのですが」、と、話の脈絡からは逸脱気味ではあるけれど、ソコのところは気にしないことにして、とりあえず、ソコのトコロを問うてみる。
「空気を読む、の、意味、かい」
「あまり、いいイメージがない、のです」
「いいイメージが、ない?」
「そうです。たとえば、気遣いとか、思い遣りとか、といったモノとは、その根っこの部分とか、その向いている方向とか、が、全くもって違いますよね」
「そりゃそうだ。全然、違う」
「どちらかというと、消極的、無難主義、迎合主義。あるいは、ズル賢い」
「お~。いい感じではないイメージの、オンパレードだな」
「高性能のアンテナを張り巡らして、上手い具合に生きていく世渡り上手、としか、私には思えないのです」
「世渡り上手、ね~」
「むしろ大切なのは、そんな、空気を読む、みたいなテクニック的なコトよりも、その言動が正しいのか正しくないのか、で、あるはずでしょ」
「その通り。だから、だからこそ、『空気を読む』系のバカが、気になって気になって仕方がない、と、言っているわけよ」
あ~、なるほど、なるほどな。
空気を読む、ということ自体がナニかと問題まみれであるだけに、そんなモノを読もうが読むまいが、ドッチにしてもバカであることに変わりはないじゃないか、って、コトを、Aくんは言おうとしていたのか。モヤモヤとして宙ぶらりんだったモノが、一気に腑に落ちる。
「君が言うように、ただ無難に上手く生きていこうとするだけでは、残念ながら、ソコにはナニも生まれない、ということなのだろうな」
(つづく)