はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と六十七
「メッチャエエヤン!」
「名もなき、めっちゃ、ええやん!」
「名もなき、め、めっちゃ、ええやん、ですか」
「そう。ファンタスティックやらトレビア~ンやらベニッシモやらハラショ~やら、他にもイロイロやらやらやらとあるとは思うけれど、でも、ココはやっぱり『めっちゃええやん』で決まり、だと、僕は思っている」
残念ながら、ワケがわからない。
「ナンてことのないモノの中に、も、めっちゃええやん、は、シッカリと息づいている、ということだ」
申し訳ないが、ナニを語ろうとされているのか、が、全くもって掴めない。
「しかしながら、あの昭和の街に感じられていた『めっちゃええやん』が、見事なまでに力なく萎んでいってしまったことに、僕は、この国が抱える致命的な闇があるような気がしてならないんだよね」
致命的な闇、か~。
ソレなら、理解できなくはない。
一気に、そのワケのわからなさが薄らいでいく、その中で、時代の流れとともに変容する街というモノについて、の、私の思いを、とりあえず、思い切って語ってみる。
「私自身も、私が高校生ぐらいまで過ごした街のその後の変容を目にして、街が、街としての命の輝きを失って、名もなき、どころか、実(ジツ)までもなき街に、ドンドンとつまらなく萎んでいったような感じを、抱いていましたから」
そう、そういうことなのだ。街としての命の輝き。ソコに顔がある、顔が見える、と言い換えてもいい。そう、顔がある店。顔が見える、街。
「さすがに時の流れによって、少々ボンヤリとはしてきたものの、それでも、私は、あの頃のあの街の、それぞれの店のオバさんやらオジさんやらのその顔を、今でも覚えているんです。コレって、ソコに顔があった、ってことでしょ」
「顔?。顔、顔ね~。たしかに、あった、あったよな~。で、君は、久しぶりにその街を訪れて、以前、ソコにあったはずのその顔の、消失を、リアルに感じてしまったわけだ」
「そうです。数十年ぶりに、仕事のついでに立ち寄って、その消失を、感じまくりました。そんな消失による消失感ならぬ喪失感に、まみれにまみれながら街を歩いてとくに気になったのは、個人で経営されていた自宅兼店舗、いわゆる家店が、ほとんど消えて無くなっていた、ということ。ソレも時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、しかし、そのコトもまた、街から顔が無くなってしまった、その要因の一つであるように、私には、思えるのです」
大袈裟かもしれないけれど。
(つづく)