ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1003

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と三十四

「ソコカラ ニゲロ!」②

 手持ち無沙汰、あるいは口寂しい、ということもあって、もう一枚、オレンジピール入りのチョコクッキーを口の中に放り込む。噛む度にコフコフという、煎餅を噛み砕いた際に飛び散る甲高い音とは真逆のトボけた音が、鈍くこぼれ落ちる。

 おそらく、国産のモノではないような気がする。なんとなく、そんな気がする。

 昔、随分と昔、あるドイツ人(だったと思う)が、もちろん日本語が堪能であったその人が、私のナニ気ない「ヨーロッパあたりでは、スーパーなどで普通に売られているお菓子も、原材料がシンプルで、余計なモノはナニも入っていませんよね」という呟きに、サラリと、こう返したのだ。

 「子どもたちが食べるモノだから」

 忘れもしない。私は、その時、ウロコも、マツゲも、ナニもカも、ポロポロと目から落ちていくのを感じた。原材料もシンプルだが、ソレに負けないぐらい、そのドイツ人の返答もまた、シンプルであったのだ。

 当たり前のコトと言ってしまえばソレまでだが、その当たり前が難しい国に、私たちは生きているのかもしれない。

 などと、ナンとなくボンヤリと思ったりしていると、ようやく、Aくん、沈黙の世界から舞い戻ってくる。

 「理屈抜きに、ツベコベ言わずに、ココはやっぱり『ソコから逃げろ』だな。おそらく、自力で、は、難しいに違いないから、そのためのアシストを、学校の先生として、どう、行うのか、行っていくのか、が、キモ、に、なってくるのだろうけれど、慌ただしく日々奮闘する先生たちに、はたして、その力が残っているのかどうか。ちょっと気にはなるけれど、とにかく、余計なことは考えずに、とりあえず、一刻も早くナニがナンでもソコから逃げろ、と、声を掛けなきゃダメだ。だって、もう半歩も後退りできないぐらいギリギリのトコロにまで追い詰められているかもしれない子どもたちに、『頑張れ』とは言えんだろ、普通。違うかい」

 違わない。その通りだと思う。

 あの、ドイツ人の一言が、再びプッカリと頭の中に浮かび上がる。

 「子どもたちが食べるモノだから」

 そうだ、子どもたちが食べる言葉なのだ。

 そう、子どもたちが食べる、言葉。

 学校の先生が子どもたちに発する言葉もまた、純粋に子どもたちのコトを思う、余計なモノなどナニも入っていないシンプルなモノでなければならない、と、あらためて、あらためてズッシリと思う、私なのである。

 面舵いっぱ~い。

 取り舵、いっぱ~い。

 ヨ~ソロ~。

 ヨ~、ソロ~。

(つづく)