ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1013

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と四十四

「オトナシイ コクミンナンテ ダマシテオクニ カギル」

 以前、大人しい大人は都合がいいから、と、静かに、ユルリと、それでいて重く吐き捨てるように語ったAくん。こんなご時世ゆえ、その真意を今一度、無性に聞き直してみたくなる。

 「私は、未だに、『おとなしい』の漢字が、大人子どもの大人、の、『大人しい』であることに納得できないままでいます」

 「あ~。たしか国語のテストかナンかで、音が無い、『音無しい』と書いて、自分だけが❌だった、って、ボヤいていたよな」

 おっ。覚えていてくれたんだ。

 「そうです。ナゼ、大人は大人しいのか。大人しくなければならないのか。ソコのところが全くもって納得できないのです」

 するとAくん、「子どもから大人になるとはドウいうコトなのか。その定義付けが、おそらく、大人の事情、とか、致し方なし、とか、世の中キレイゴトでは済まない、とか、といったダークなモロモロを習得できたかどうか、納得できたかどうか、みたいなトコロにあるからなんだろうな」、と。

 ん~、たしかに。 

 時折、権力を意地でも握り続ける政界やら経済界やらの重鎮たちが、「若造が、子どもじみたコトをほざきよって」などと、エラそうに若者を揶揄するのを目にするにつけ、その度に、Aくんのその指摘と同じような思いを抱くことがある。

 「そうしたダークなモロモロを習得してしまった大人たちがつくり上げた世界がコレなわけだろ。こんな問題だらけの世界にしておいて、ナニが大人だ、ドコが大人だ、って、普通、思うよな」

 たしかに、普通の神経を持ち合わせていれば、普通、そう思う。

 「ようするに、子どもは子どもで、子どもなのだから子どもらしく黙っておけ。大人は大人で、大人なのだから、大人らしく大人しくしておけ。ということなのでしょうね」

 なんだか、そう言っているシリから気が滅入ってくる。 

 「そうだな、そういうことだ。そして、そうした大人しい大人やら子どもやらを適当に騙して騙して騙しまくって都合よく国づくり。つまり、大人しい国民なんて騙しておくに限る、という国家戦略なんだろ」

 ふ~。

 騙される方が悪い、と、宣う方もおられるかとは思うが、罪の深さからすれば、比較にならないほど、騙す方が圧倒的に悪い。(つづく)