はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と四十五
「カルト ナ ゲンリシュギ パラダイス」
難しいことは僕にはわからないけれど、と、ジャブ程度に前置きした上で、Aくん、「世の中、右も左もナニもカも、コレこそが正しい、どころか、コレ以外は正しくない、という具合に、無批判に妄信してしまいがち、みたいな、そんな、『カルトな原理主義パラダイス』化傾向であるがゆえに、トンでもなく不気味で物騒で危険なモノを感じて、感じて、仕方がないんだよな」、と。
ん?、んん?、カ、カルトな、原理主義パラダイス、化、傾向?
ん~。いつもながらのヤヤこしさながら、Aくんが、感じて仕方がないんだと宣うその不気味で物騒で危険なモノだけは、ソレなりにプンプンと漂ってはくる。
「つまり、つまりだ。右も左もアッチもコッチも、己が己に対して批判的な目を向けられなくなったその時点で、もうソレは、『カルト』以外のナニモノでもないモノになってしまうかもしれない危険性を孕(ハラ)みまくってしまう、というわけだ」
ん、ん~。やっぱりヤヤこしいな。
信じるコトの危険性のように聞こえなくもないだけに、プチ仏教系の私としては、どうしても引っ掛かってしまうのである。
「信じる者は救われない、ということですか」
思い切って尋ねてみる。
「信じる者は救われない?。いや、そうではない。信じる者は、きっと救われる。そう信じたい。しかし、しかしだ。信じ過ぎる者は救われないかもしれない、ということだ」
信じ過ぎる?
「信じ過ぎることが、心の中の排他的な魔物を目覚めさせてしまう」
排他的な、魔物?
「信じ過ぎることで、己が信じているモノが否定されるコトに耐えられない。それゆえ、信じているモノ以外は全て排斥する。場合によっては攻撃的に叩く。潰す。みたいなそういう感じだ。で、この感じ、ナゼかジワジワと肥大し始めてきているようなんだな。その辺りを引っ括(クル)めて、わかりやすく『カルトな原理主義パラダイス』化傾向、と、呼んでいるわけだ」
申し訳ないけれど、わかりやすくはない。
少し違うかもしれないが、ひょっとしたら先ほどの、無理やり外に敵を見つけては、手当たり次第に撃墜したがる、あの、パトリオットミサイルマンもまた、ソレ系の魔物、のように思えてくる。
するとAくん、突然ナニかを思い出したのか、「あっ」とプチ叫んだあと、そのままソソクサと奥へと引っ込んでしまう。
ん~。
トにもカクにも、カルトな原理主義の、そういった思考のフットワークの悪さみたいなものだけは、やはり、いただけない。
より、脳ミソはソフトに。より、ハートは温かく。より、思考はフットワーク軽やかに。で、なければ、より、良いモノなど、生まれてくるはずがないのである。(つづく)