はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と四十二
「そもそもナショナリズムとは、いったい・・・」
ボソリとそう呟いたAくん。なんとなく、またまたヘビーな話題に突入しそうな気配。
ナショナリズム、か~。
手強そうな臭いが立ち上る。
「愛国心。やっぱり、ナショナリズムと言えば、このイメージが強いよな」
愛国心、か~。
一層、手強そう臭いが、プスプスと立ち込める。
「愛」も「国」も「心」も、そのドレもコレもがヘビー級なトリオであるだけに、いつだって、その臭いの中で、どうしても怯んでしまうのだ。
「その愛国心というイメージから思い付く、もう一つのワード、パトリオティズム。聞いたことないかい」
「パ、パトリオット?」
「あ~、パトリオットミサイルね。ひょっとしたら、出どころは同じじゃないかな。物騒な響き漂うパトリオットミサイルのパトリオットが語源かもしれないパトリオティズムね」
パトリオットが語源かもしれないパトリオティズム、となると・・・。
「ということは、とにかく、攻めてくるモノはナンでもカンでも撃墜しまくる、みたいな、そんな主義のコトですか」
「自国を守るためなら撃墜しまくる、撃墜主義、ね~」
またまた言わなきゃよ良かった、と、後悔する。
「でも、ソレ、当たらずとも遠からず、結構、的を射ているかも」
その言葉で、一気に、少し、ホッとする。
「少なくとも、そう解釈しがちなピーポーたちが、かなり増えつつあるような気はする」
つまり、本来は、そうではない。ということか。
「気はするけれど、ナショナリズムもパトリオティズムも、けっして撃墜主義ではない。言い換えるなら、撃墜は愛国ではない」
撃墜は愛国ではない・・・。
「では、ヤラレっぱなし、もまた『善』ということですか」
「ヤラレっぱなしも、ヤリカエシっぱなしも、もちろんヤリっぱなしも、ドレも『善』じゃない、ということだ」
うわっ。
更に一層、手強く、難解に、なってきた。
もうアトリエ内は、その手強すぎる臭いで充満してしまいそうだ。
「愛国心。あくまでも僕が考える愛国心だけれど。この、この愛国心なるもの、ってのは、外に対するモノではなくて、内に対するモノ、『心』だと思うんだよな」
内に対する心?
「国を愛する『心』は、外に対して牙を剥(ム)くなどという愚かなる道を選ばない。なぜなら、その道は、自国への愛に繋がっていないからだ」
国を愛する心、か~。
たしかに、仮に、牙を剥く時があるとするなら、おそらく、ソレは、外に向けてではなく、自国が悪しき方向に舵を切り出した時であるような気がする。内に対して牙を剥く。コレこそが、本来の『愛国心』なのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。
するとAくん、スッカリ呑むモノも食べるモノもなくなってしまったテーブルの上を簡単に片付けながら、彼なりのトドメを刺す。
「こんな僕でも、コレだけは自信をもって言える。外に対して牙を剥く場合のほとんどは、愛国心などというモノではなく、歪んだ自己愛、ナルシシズムであり、姑息な保身だ」
(つづく)