ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.716

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と五十七

「ウルサイ ウルサイ ウルサイ?」

 この星で生きる人の数だけ、いろいろな考え、思い、が、ある。そして、そのコトこそが、この星で生々しく生きる我々人類の醍醐味なのだ、と、わかりにくさ満載で、やたらと熱く語り始めたAくん。

 よほどの邪念まみれの悪魔の考え、思い、でない限り、そうした、一人ひとりの考え、や、思い、が、健全に尊重される、尊重し合える世の中が、世の中こそが、疑いもなく、素晴らしく理想的な世の中だと、この私も思う。

 「ところが、にもかかわらず」、と、苦虫を噛み潰したような表情で、プロローグから本章に、Aくんは突入する。

 「圧倒的に少数の、意見や考え、思い、に対して、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、うるさい、うるさい、と、宣ってしまう、学者がいたりする。しかも、人の心の奥深くを、その襞(ヒダ)を、分析することを生業(ナリワイ)としている学者が、だ」

 もう、Aくんの顔のほとんどは、絶望色(イロ)に染まりかけている。

 「圧倒的に、圧倒的に多数の考えには、間違いなく力が宿る。まさに数は力なり、な、わけだ。もちろん、いい面もある。いい面もあるけれど、当然のごとく、その逆も大いにあり得る。それゆえ、そうした、数の力をもつがゆえの危険性というモノもあるのだ、という意識を、我々は、常にもっていなければならないはずだろ」

 おっしゃる通り。私たちは、そうした危険性を忘れるべきではない。

 「いかなる理由があるにせよ、圧倒的に少数の、意見や思いに対して、ごちゃごちゃ、うるさい、うるさい、などと、いとも簡単に宣ってしまっては、もはや、その類(タグ)いの人たちを、学者と呼ぶわけにはいかない」

 人が、少数の意見に対して必要以上に牙を剥(ム)くとき、おそらく、ダークなナニかが、その人のその背後にあるのだろうな、と、どうしても思ってしまう。ご多分に洩れず、その学者もそうなのかもしれない。

 「ま、学者ならまだいい。仮に、政治に関わるシモジモじゃないエライ人たちが、そんなことをマジで宣い出したとしたら、この国は、この星は、もう、完全に終わりだとは思わないかい」

 思います、思いますとも。

 でも、残念ながら、悲しいかな、とっくの昔から、とくにこの国は、実に、実に巧妙に、そんな感じになってしまっているような気が、する。(つづく)