ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.912

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と四十三

「イキズラサヲイキテイク。イキズラサヲイキテイク?」

 なんとなくテレビを見ていると、緩やかで優しいトーンのショートアニメーションが、目に。

 政府広報

 「生きづらさを、生きていく。生きづらさを生きていく?」

 にわかに、その意味を理解することができない。

 「社会を、明るくする運動。社会を明るくする運動?」

 ん?

 生きづらさを生きていく、ことが、社会を明るくする、ということなのだろうか。

 じゃ、生きづらさを生きていけない者は、どうすればいいのだろう。

 「私が、社会を暗くしている。私が社会を暗くしている?」

 またまた、この国の、権力を握るシモジモじゃないエライ人たちが好んで使うワードが、頭をよぎる。

 「自己責任」

 結局、そういうことなのだろうか。

 一見すると緩やかで、優しいトーンのショートアニメーションではあるけれど、その中身は、それほど温かくも優しくも緩やかでもない。

 なぜ、この世の中が、生きづらさ、なのか。

 なぜ、そんな世の中になってしまったのか。

 ソコこそが最も大切な点であるはずなのに、政府が、もしくは、政府に準ずる組織が、「ソレでも頑張れ」とエールを送る。コレって、根本的なナニかが大きくズレているような気がしてならない。

 生きづらさを、生きていく。

 ソレができるにこしたことはないけれど、そうしようと思っても、なかなかそうできない迷える弱者たちがいる。そんな迷える弱者たちにとって、「生きづらさを、生きていく」は、ひょっとしたら随分と重たく聞こえるかもしれない。むしろ、生きづらさなど微塵もない、誰でもが生きていける、そんな社会をつくるために全エネルギーを集中させてもらいたいと、シモジモじゃないエライ人たちに、エールを送りたい。(つづく)

 

 

 

 

追記

 あおによし、あの奈良の地で、トンでもないコトが起こってしまう。

 仮に、いかに愚行であったとしても、その愚行を蛮行によって押さえ込む、ねじ伏せる、消し去る、などというコトは、絶対に許されることではない。

 法の下で、議会の中で、まだまだハッキリとさせなければならない点が幾つもあっただけに、こうした蛮行によってその全てがウヤムヤになってしまうことは、もう、悲劇としか言いようがない。

 蛮行、暴力。

 ソコからは、悲劇以外、ナニも生まれない。

 しかし、この蛮行のその向こう側に、更に深い闇があるような気がしてならないのもまた事実。再び、真実が、誰かにとって都合のいいように、闇の中に葬り去られてしまうのかもしれない。

 トにもカクにも・・・合掌。